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電通の闇

「電通」という会社を調べてみると、なる程と感じる胡散臭い過去がある。
●1907年(明治40年)日本電報通信社と日本広告が合併し、(新)日本電報通信社が発足。
●1914年に第一次世界大戦が勃発し、電通は大戦報道で顕著な成果をあげ、通信社としての声価を一挙に高める。
●その後、現在の電通につながる実質的な前身としては、昭和7年(1932年)旧「満州国」建国の時期に、新聞聯合社と日本電報通信社の通信網を統合した国策会社「満洲国通信社」(国通)が発足したときから。
●初代主幹(事実上の社長)に就任したのは、里見 甫。後に阿片取引で悪名を轟かす「里見機関」の首謀。その後、昭和11年(1936年)に国通の通信部門が同盟通信( → 後の時事通信・共同通信)に分離され、広告代理店専業となるが、両社は一心同体的な発展をとげた。
(例として、「国通」の社員は日本・中国においては出向社員として「同盟」の社籍をもち、「同盟」の社員は満州国においては「国通」の社籍を有した。関東軍、支那駐屯軍が動くや両社は連携して活動、日華事変では30余名の特派員を派遣し、国策報道に貢献した)
●終戦で満州国と共に満州国通は解体されるが、東京では電通として再興。同盟通信のほうはGHQによって、共同通信と時事通信に分離され通信社として健全化される。
●電通は、国通時代のコネクションから満鉄人脈との繋がりが強く、終戦直後から満鉄社員、満州帰り、復員軍人が多数社員として名を連ねた。
●彼らは広告のノウハウを持っていたわけではなく、実質的にフィクサーとしての活動を行った。旧満州国・関東軍と二人三脚での広報謀略戦で培った特務機関としての能力が役立ち、米軍と結びつき、国家権力と結びつき、ラジオTVなどのメディア戦略をもとに復権を果たす。

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