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19世紀末のパンデミックもコロナウイルスだった可能性がある

 最近、 過去のパンデミックに関していろんなネット記事を読み、それなりに知識が増えてきた。感染予防にすぐ役に立つとは言えないが、今後の社会的流行をみるうえで参考にはなる。

 過去にもヒトコロナウィルスによる世界的パンデミックが起こっていた可能性があるという記事を読んだ。よく考えると当然のこと。

19世紀末、ロシア帝国から起こったパンデミック

 → 新型コロナウィルスは繰り返す 【荒井内科小児科医院 荒井 克幸氏】

 1889年からロシアを皮切りに流行して世界中で100万人以上が死亡したと言われている感染症(~1892年ごろまで)。一般にはインフルエンザの流行と思われていたが、重症者に認められた神経症状がウシコロナウィルスから分岐した風邪が起こす症状に酷似していることなどから、このパンデミックは当時の「新型」コロナウィルス感染症という説が専門家の間で生まれているという。高齢者ほど致死率が高かったのが特徴。その後人類はこのウィルスに対する免疫を獲得し、現在は普通の感冒ウィルスとなった……と。

 ウィキペディアの「ヒトコロナウイルスOC43」によると

 このウイルスは、1889年から1895年にかけて、世界で100万人が死亡したインフルエンザの大流行との関連が指摘されている。流行の原因となったインフルエンザウイルスは特定されていないが、これまでH3N8型インフルエンザウイルスなどが原因として挙げられていた。一方、ベルギーのルーヴェン大学の研究者らは、多くの患者で顕著な中枢神経系の疾患が見られたことや、塩基配列の変異速度を考慮したウイルスの出現時期の考察によって、この流行はインフルエンザウイルスが原因ではなく、実際にはヒトコロナウイルスOC43を原因とする可能性があると2005年に報告した。

  1889年の5月にロシア帝国のブハラ(現ウズベキスタン)で最初に発生が確認された後、僅か4か月で北半球全域に拡大、非常に速い速度で全世界に伝播した。致死率は子供で低く、70歳以上の高齢者で高かったという。……(確かに、Covid-19によく似ている)

「ただの風邪」になるシナリオ

 ナショナル ジオグラフィック日本版サイトの記事によると、COVID-19の今後の経緯で、長期的に最も可能性が高いのは、日常的な病気、つまりはただの風邪になるというもの。
 → コロナ禍はいつまで続く?:「ただの風邪」になるシナリオの場合

 現在、風邪の原因となるコロナウイルスの1つ"OC43"は、19世紀に深刻な流行を引き起こした後、徐々に、ありふれた軽い症状を引き起こす病原体の一つになっていった可能性があり、OC43の系統樹に基づいて逆算推定したところ、人の体内に入ったのは19世紀後半、おそらくは1890年代前半ではないか、という研究結果が2005年に学術誌「Journal of Virology」に発表された。

 → covid-19情報/感冒ウイルスの分類おおぐちこどもクリニック

  お染風

 岡本綺堂の随筆に、19世紀末のパンデミックの記述がある。

 …日本で初めて此の病がはやり出したのは明治廿三年(1890年)の冬で、廿四年の春に至つてますます猖獗(しょうけつ)になつた。我々は其時初めてインフルエン ザといふ病を知つて、これはフランスの船から横浜に輸入されたものだと云ふ噂を聞いた。 併し、其当時はインフルエンザと呼ばずに普通 はお染風と云つてゐた。…(中略)… すでに其の病がお染と名乗る以上は、これに憑りつかれる患者は久松でなければならない。そこで、お染の闖入を防ぐには「久松留守」 といふ貼札をするが可いと云ふことになつた。 新聞にもそんなことを書いた。勿論、新聞ではそれを奨励した訳ではなく、単に一種の記事 として昨今こんなことが流行すると報道したのであるが、それが愈ゝ一般の迷信を煽つて、明治廿三四年頃の東京には「久松留守」と書い た紙礼を軒に貼付けることが流行した。 中には露骨に「お染御免」と書いたのもあつた。…(後略) 岡本綺堂「思ひ出草」より 。

人気狂言の主人公にちなむ 

 「お染」は、当時、鶴屋南北作の浄瑠璃で人気だった「お染久松」のヒロイン(道行浮塒鴎/歌舞伎の清元)。丁稚の「久松」とお嬢「お染」はあっという間に恋に感染してしまいましたが、流行り風邪の感染力は恋に劣らず相当強力であることから、「お染風」と呼ぶようになったとか。

 また、江戸時代の安永5年(1776)に流行した感冒は、当時はやっていた浄瑠璃の「城木屋お駒」という妖婦をモデルにして、「お駒風」と名づけられたそうです。

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