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旅をすること、私の場合。

私の旅というのは非日常ではなく、日常である。というより、自分の普段の生活をいつもと違う環境でただ何でもないふうに営むことだと思っている。

そうやって自分の生活を保ちながら、町から町へ国から国へと旅を続けていくうちにどんな環境にもすんなりと適応しつつ、しかしけっして自分自身を見失うことはないのだ。

それは一種の修行のようなもので、温かいシャワーがなくても、毎日停電がおきても、雨のなか宿が見つからなくても、砂漠で野宿しなくてはならなくても、標高5000メートルで酸素が足りなくても、トイレがただ地面に穴を掘っただけのものだったとしても、その環境にフィットし、しかし自分自身であるというしなやかさが鍛えられるのだ。

そしてその修行の成果が一番発揮されるのは、どんな過酷な環境へ行った時でもなく、日本に帰国したときである。

旅人の中には、異国で別人のように明るく振舞い、浪費をして、そして帰国してから失望するというタイプの人がいる。長い旅の後に日本での居場所を失う旅人というのは、ある意味では旅の中で自分を見失ってしまった人なんじゃないかとも思う。

しかし旅の中でしなやかに鍛えられた人間は、どんなに長い旅から帰ってきても、やはりすんなりと自分の国での生活を再開する。帰国した翌日に求人情報をチェックして、履歴書を買いに行くついでに髪を切って、さっぱりして気持ちがいいからそのまま証明写真も撮っちゃおう。次はどんな仕事をしようかな。そして次はどこへ行こう。

わたしには非日常やスペシャルなものは必要ない。普通の生活はずっと続く。とても少ないエネルギーでなんでもないふうに続けることができる。旅を日常の中に、日常を旅の中に。それは心地よく続いていく。


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