躁から鬱へと

昨年(2021年)は躁から鬱へと切り替わるのを割とはっきり感じるエピソードがあった。忘れないように書き記しておく。
十一月末頃だろうか、秋も深まった時期ではあるがまだバイクツーリングにはちょうど良い季節だったと思う。前日思い立ち、以前の同僚であり友人でもある瓜田君が秋田の実家に引っ越したのだが、そこを目指してバイクで走り出した。僕の実家は宮城県にあるのだけれども、秋田岩手宮城福島の三泊四日の弾丸ツーリングを敢行しようというのだ。早速身支度とバイクへの積み込みを終えて、出発した。道中はヘルメットスピーカーからの爆音を流しながら、歌いながら走っていたように思う。

僕は双極性障害と診断され、投薬治療をしている。ツーリング中は薬の副作用である眠気を恐れて、自己判断で投薬をやめていた。僕はデパケン(バルプロ酸ナトリウム)とロナセン、レンドルミン、リーゼという薬を飲んでいる。

その日はほぼ休憩も取らず、一気に東京秋田間を走り抜けた。その後瓜田兄弟と再会し、酒を酌み交わし、0時過ぎ頃ホテルで就寝した。
翌日は気持ちの良い晴れで、絶好のバイク日和、下道で岩手を目指してそこで一泊し、宮城を目指す予定であった。朝から昼にかけては気持ちよく走れていたように思う。変化が訪れたのは昼過ぎ頃だ。山道の蛇行路を走っていると、全ての対向車が中央線を越えてこちらに突っ込んでくるように感じる。不安感が強くなり、スピードを緩めすぎて倒れそうにもなる。慌ててアクセルを開ける。信号で停車する時も追突してしまう、されてしまう不安が頭を離れない。しばしば休憩を挟むが急な体調の変化に心がついていかない。思い返すと、昨日どうやって東京から秋田まで来たかが思い出せない。これは今に至ってもだ。これは危険だと判断して、実家がある宮城に目的地を変更する。途中高速道路も使用して、早めの到着を目指した。父とはやや疎遠の関係だが、実家で少し休ませてもらったところ復調したように感じたので、当初の予定通り行きたかったサウナで一泊することにした。正確にいうとサウナには宿泊施設がないので、その横にあるラブホテル兼ビジネスホテルのようなオンボロホテルに泊まった。楽しみにしていたサウナだったが、いつものように集中できず、とにかく他人が気になる。頭の中を言葉が駆け巡る。軽く酔ってしまい、嫌な気分でサウナを終えた。食事をし、ホテルに戻って、身体としては疲れているので就寝できると思い横になったが、とにかく眠れない。途中酒も飲み直し、眠気を感じて横になるのだが、頭の中で言葉が嵐のように駆け巡り、心が休まらない。結局朝までそのような調子で一睡もすることができなかった。

翌日は父と兄と昼食をとって墓参りに行く予定だったので、早朝ホテルを後にした。夜が明けても頭の中から言葉の波と不安感と焦燥感がとれることなく、むしろ強くなる一方で、実家に着いてからも横になったりするのだが眠れない。結局そのまま出発するのだが、後部座席に乗っていても、対向車が突っ込んできたり、操作ミスで激突なんていう妄想が頭を離れず気が休まらない。その後食事をし、墓参りをした。言い忘れていたが、その日の僕はとにかく多弁で、頭の中と口とが両方同時に喋っているようだった。気持ち悪い。車の中でも目を瞑るのだが眠れることはなかった。
結局その日は夕食をとり、普段の薬をおとなしく飲んだらストンと眠りに落ち、12時間ほど睡眠をとった。
翌日からは睡眠のおかげで調子を戻したので、途中叔母の家に立ち寄り、予定の通り福島で一泊し、帰路に着いた。軽い不安感はあったが、コントロールできる範囲だったと思う。

その後から僕の生活範囲はベッドの上になった。週三日の絵画教室の仕事には行っていたが、その度に気持ちのギアをローからトップまで一気に入れ替えて人と接するため、終わった後の虚脱感が強く、帰ってからは酒を飲み、テレビの前の椅子に座るか、ベッドの中でスマホをいじる生活が続くことになった。アトリエから足が遠のき、翌年4月までは制作をしていなかったように思う。僕は割と料理が好きなのだが、ほとんどをウーバーイーツなどのケータリングサービスに頼り、スーパーに買い物に行くことも稀になっていた。(おかげで身長167cmで82kgまで太った!)
でも、夏のように激しく落ち込んだり、嗚咽を上げるように泣いたりするようなことはなく、ただただ無気力になっていくような感じだったと思う。正直現在の自分は躁寄りなので、鬱寄りの時の気持ちが思い出せないのかもしれない。

急激に復調してきたのは6月頃。復調というか躁への移行だ。絵も活発に描けば、外出も頻繁になる。酒もよく飲むし、人とも会う。性も乱れる。基本元気なのに、激しく落ち込むことが多く、昂った分だけ揺り戻しが来る。この時期だけはラピッドサイクラーのようになってしまう。
冬の間家から出るのがとても億劫で一時通院をやめていた。6月頃、通院を再開するキッカケが起きる。
僕視点の話でいうと、夜晩酌をしていて、本数はお茶ハイ2本くらいだと思う。しばらく投薬もやめていたのだけど、その日は早く寝てしまいたくて、久しぶりにレンドルミン(睡眠導入剤)2錠と、リーゼ(抗不安剤)を飲んだ。気づいたら近くにあったハサミで両腕を突き刺していた。コンビニに買い物に行き、帰ってくるところで警察に保護され、深夜、自傷しないと念書を書かされ家まで送られる。という出来事だ。
同居している相方曰く、急に嗚咽をあげて泣き出して、ハサミで腕を突き刺し出したから、止められないと思い警察を呼んだそうだ。
この出来事がきっかけで通院を再開したし、躁が始まったように思う。結局娯楽費だけで100万ほどを6〜9月で溶かした。今はコントロールしようとしているのと、やはり寒くなってくるとメランコリーの波を感じる。昨年のように激しく鬱転せずに過ごしたいところだ。

またこれからの目標は、躁なら躁の制作を、鬱なら鬱なりの制作をしていくことだ。鬱の僕は自信を失いがちではあるけれど、ありのままの表現をしていけたら良い。今だって毎日不安と向き合いながら絵を描いている。引きこもらず、自信を失いなったり得たりしながら制作を続けていきたい。自信のあるなしや自己肯定は、表裏一体のような関係に感じる。形にしていくことで結果的に生まれたものたちを僕は見ていきたい。そこに自分の姿が投影されているのではと、そんな予感を感じている。

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