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書評

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海外文学の新作の書評。
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#ドン・ウィンズロウ

「CIAへの愛が薄いんじゃなくて、マンハッタンへの愛のほうが濃い」のだ

『歓喜の島』ドン・ウィンズロウ 後藤由希子 訳ウォルター・ウィザーズは元諜報員。CIAの人材調達係として、スウェーデンで働いてきた。旧家の出で、そつがなく人の気を逸らさない。控え目で自分の分の勘定は自分で持つので、誰からも好かれている。美男だが押しの強さはない、俳優で言えばレスリー・ハワードやフレッド・アステア、シャルル・ボワイエといったタイプ。服装の趣味がよく、一本のマッチで二本の煙草に火をつけることができる。一口でいうと、スタイリッシュなのだ。 ところが、彼がその人たら

男たちの友情や人間同士の信義も忘れちゃいない。ウィンズロウ節は健在だ。

『カリフォルニアの炎』ドン・ウィンズロウ 東江一紀 訳「火事があって、死者が出た」と電話。ジャック・ウェイドはカリフォルニア火災生命の火災査定人。現場にはすでにオレンジ郡保安局火災調査官が到着済み。「ウォトカと寝煙草」と得意の<失火>説を唱えるベントリー。元同僚だが、わけあって二人は互いを嫌っている。ジャックは自らの目と手を使って、徹底的に調べ上げる。火元が二ヵ所あり、それを結ぶ燃焼促進剤の撒布パターンもある。まちがいなく放火だ。 やったのは死んだ女の夫で、不動産王のニッキ

これで終わりってわけじゃない。いうなら「幕間劇」。

『砂漠で溺れるわけにはいかない』ドン・ウィンズロウ 東江一紀 訳何ごとにも終りがある。というわけで、これがシリーズ最終巻。最後になって一人称の探偵が話者を務めるハードボイルド小説のスタイルが戻ってきた。そうは言っても、カレンを話者にしてみたり、脇を務める登場人物の書簡、電話の録音、日記をそのまま本文に持ち込んでみたり、と多視点も採用している。ページ数も短めで、登場人物も限られている。何しろジョーでさえ電話で登場するだけだ。少し変化をつけたかったのかもしれない。 ピカレスクに

男どものダメさ加減を徹底的に笑い倒す

『ウォータースライドをのぼれ』ドン・ウィンズロウ 東江一紀訳中国四川省やネヴァダの草原を舞台にした前二作と比べると、ずいぶんスケール・ダウンしたものだ。カレンの部屋や、ホテルの一室、キャンディの家といった狭苦しいところに、女性三人が閉じこもって、ガールズ・トークに精を出し、酒を飲んで大騒ぎするところは、まるで昔懐かしい『ルーシー・ショー』。今回のニールは、ルーシーの相手役を務める銀行の副頭取「ムーニーさん」の役どころ。 というわけで、ニール・ケアリー・シリーズ第四作は、シチ

遂に父の掌の中から抜け出したキッドは、いったいどこまで行くのだろう?

『高く孤独な道を行け』ドン・ウィンズロウ 東江一紀 訳浮浪児あがりの青年が、育ての親が見つけてくる簡単な仕事を引きうけては、いつのまにか大事件に巻き込まれる、というお馴染みのシリーズ第三作。第一作はイギリス、第二作は中国と世界を股にかけてきたが、今回はアメリカに戻る。だが、地元ニューヨークではなく、ネバダ州が舞台。英文学を専攻する活字中毒で、孤独を好む街っ子のニールにカウボーイがつとまるのだろうか、と心配になるが、冒頭で中国拳法を修行中とあり、刮目した。 ニール・ケアリーは

へなちょこ探偵のセンチメンタル・ジャーニー

『仏陀の鏡への道』ドン・ウィンズロウ 東江一紀 訳この痛快さはどこから来るのだろう。国家のイデオロギーや指導者の大局観などとは一切無縁。一人の青年の美しい女性に寄せるひたむきな愛が、成就されることもなく、そうとしか有り得なかった結果を引き出す爽快ともいえる空しさにあるのかもしれない。生粋のストリート・キッズが、大自然の要害に徒手空拳、よれよれのからだで挑む、向こう見ず極まりない冒険の成り行きが、なまじい世間を知った年寄りにはただ切なく眩しいのだ。 はじめてドン・ウィンズロウ