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読書びより

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#幸福

トルストイ『人生論』、読んでいます。3(終)

トルストイの『人生論』。この本を読みながらしていることがあります。各章から、エッセンスと思われる一文を引用して「つぶやき」でnote記事に。この複雑で難解とおもえる本の内容を読みとき、読みこなすための作業として……。ここまでをひと区切り。通しで振りかえりたいと思います。  今回は、第二十五章から最後(補足3)までをまとめました。 📗 第二十五章  愛は、それが自己犠牲である時にのみ愛なのである。人が他人に自分の時間や自分の力を捧げるだけでなく、愛する対象のために自分の肉

生命に付随するさまざまの現象を研究しながら、生命そのものを研究していると思いこみ、その想定で生命の概念をゆがめている。/補足2 個人的な幸福と欺瞞的な義務とを訴えかける声よりもこの(理性の)声の方が強くひびく時がやがて来るし、すでにもう来たのである。/補足3 トルストイ『人生論』

人間の生命は幸福への志向である。人間の志向するものは与えられている。死となりえない生命と、悪となりえない幸福がそれである。/結び 幸福に対する志向としての生命の定義をぬきにしては、生命を観察することはおろか、生命を見ることもできないのである。/補足1 トルストイ『人生論』

トルストイ『人生論』、読んでいます。2

トルストイの『人生論』。この本を読みながらしていることがあります。各章から、エッセンスと思われる一文を引用して「つぶやき」でnote記事に。この複雑で難解とおもえる本の内容を読みとき、読みこなすための作業として……。ここまでをひと区切り。通しで振りかえりたいと思います。  今回は、第十三章から第二十四章までをまとめました。 📗 第十三章  われわれの知識の真実性は、空間と時間の中で対象が観察しうるかどうかにかかっているのではなく、むしろ反対に、空間と時間の中でその対象の

理性とは、人間の動物的個我が幸福のために従わねばならぬ法則である。愛とは、人間の唯一の理性的な活動である。動物的個我は幸福にひかれる。そこで理性が個人的な幸福の欺瞞性を人間に教えて、ひとつの道を残しておいてくれるのだ。この道での活動が愛である。 トルストイ『人生論』第二十二章

人間にとって個我とは、生存の一段階でしかなく、個我の幸福と合致しない生命の真の幸福はそこから開けるのである。人間にとって個我の意識とは生命ではなく、そこから生命が始まる境界線であり、その生命とは……幸福をますます大きく達成してゆくことにあるのだ。 トルストイ『人生論』第十五章

人に理性的な意識が与えられているのは、その理性的な意識の啓示してくれる幸福の中に生命をおくためにである。その幸福の中に生命をおいた者は、生命を持つ。ところが、そこに生命をおかず、動物的個我の幸福のうちに生命をおく者は……生命を失うのである。 トルストイ『人生論』第十七章

人間の真の生命、すなわち、人が他のあらゆる生命についての概念を作りあげるもととなる生命は、理性の法則におのれの個我を従わせることによって得られる、幸福への志向にほかならない。……人間の真の生命は時間と空間にかかわりなく流れているのである。 トルストイ『人生論』第十四章

トルストイ『人生論』、読んでいます。1

トルストイの『人生論』。この本を読みながらしていることがあります。各章から、エッセンスと思われる一文を引用して「つぶやき」でnote記事に。この複雑で難解とおもえる本の内容を読みとき、読みこなすための作業として……。ここまでをひと区切り。通しで振りかえりたいと思います。  今回は、第一章から第十二章までをまとめました。 📗 第一章  人にとって何より重要で、それだけが必要なもの、すなわち自分の個我は、やがて滅びてしまい、……生きていると自分に感じられないもの、……たたか

動植物や物質の存在を支配する法則の研究は、人間の生命の法則を解明するのに有益であるばかりか、必要ですらあるが、ただしそれは、その研究が人間の認識の主要な対象である、理性の法則の解明を目的としている場合に限るのである。 トルストイ『人生論』第十一章

それはまだ完成しきっておらず、われわれの生命の中で現に行われているものだからだ。幸福を達成するために、この法則を遂行すること、理性の法則に自己の動物的なものを従属させること、そこにこそわれわれの生命もあるのだ。 トルストイ『人生論』第十章

個人的な幸福がこれほどはっきり粉砕されてしまった以上、個人的な生存をつづけてゆくことは不可能であり、その人間の内部には動物的なものと理性的な意識との新しい関係が確立しはじめる。その人間は真の人間的な生命に向かって誕生しはじめるのである。 トルストイ『人生論』第九章

人が自分の生命とよんでいるもの、すなわち誕生以来の生存は、決してその人の生命ではなかったのだ。生まれて以来現在の瞬間までずっと生き続けてきたという観念は、意識の欺瞞であり、……理性的な意識がめざめる際に過去の生命についての観念が作りあげられたのである。 トルストイ『人生論』第七章

他の人たちも自分と同じように、今やっていることを何のためにしているのか知らずにいることくらい、わかっている。理性的な意識が偽りの教えをのりこえて成長し、人が人生のただなかで立ちどまって説明を要求する時は、訪れつつあるのだ。 トルストイ『人生論』第六章