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異次元の扉としての「ワインとそれをめぐる記憶」③

銀座のフレンチレストランを食べ歩き
 
1970年代後半、私はリーダーズダイジェストに載っていた辻静雄さんの記事にすっかり魅了され、大ファンになり沢山の著書を拝読しました。
中でも「ヨーロッパ一等旅行」を読みながら、数々の星きらめくレストランでのやり取りに、夢膨らませながら「いつかは自分も」と憧れを抱いていました。

 1980年代前半、社会人として叔母の会社に就職しました。
この時あまりの忙しさに3ヶ月で体重が15キロ落ちました。外回りの営業で時間がなく、常に走っていた為でしたが、健康的なダイエットになりました。
 
その頃の給与は、ほとんど食費に消えていました。
会社が銀座4丁目でしたので、夜は毎日、ガイドブックで調べたフレンチレストランに一人で行くのが楽しみでした。
 
その中でも一番のお気に入りが銀座1丁目にある「ペリニイヨン」(2F)「ドン・ピエール」(1F)です。前者がレストランで後者がブラッセリーですが、厨房は1階で歩道から中が見えるようにガラス張りになっており、当時としては厨房の様子が窺える画期的なアイディアで話題になっていました。


内勤になってから一年間はほぼ毎日、昼は「ドンピエール」でチョリソーのスパゲッティとデュポネ、夜は「ペリニオン」か「ドンピエール」というパターンでした。
 
ペリニオンオーナーのお一人である秋元さんとは、オープンした頃叔母に時々連れて行ってもらった「銀座レカン」というレストランのご出身でしたので、私もよく覚えていました。
 
シェフは園田さん、スーシェフが鈴木さんで、毎日「おまかせ」でいろいろな料理を作ってもらいました。夜のメニューは特大のサラダ『グランメール』と大きなポーションのメインが一品、デザートにハイチ産のピーベリとワインでした。
毎日の食事のお供なので、ワインはグラスで飲むことが多く、まだ自分の好みを把握する段階には至りませんでした。
 
ある日「ドンピエール」でプライベートなワイン会があり誘われて行くと『DRCラターシュ』のマチュザレム6000mlボトルがメインで、シャンパンが『ボランジェRD1976』でした。これが「甘味と酸のバランスが素晴らしい」本当に美味しいシャンパンを飲んだ初めての経験であり、私のシャンパンに対する認識が変わった瞬間です。
 
パリの「ランブロワジー」、フランス料理の最高峰に出会う
 
1987年大晦日から1988年の年明けにかけて、「ペリニオン」の松本さんの紹介でパリのヴォージュ広場にある高級レストラン「ランブロワジー」に行きました。
この時の「ランブロワジー」はヴォージュ広場に移って一年位でした。まだミシュランの2つ星で、3つ星を獲得する直前でした。
 
まず大晦日、12月31日の昼に行きました。

ランブロワジーのオーナーシェフ、ベルナール・パコーさんは『ピーマンのバヴァロワ、トマトの酸味クーリー添え』で有名でした。しかしそれに加えてこの時出された料理全てが、私の生涯を通し現在に至るまで、フランス料理の最高峰で、こんなに美味しい料理は、この後にも先にも食べたことがありません。
大げさに聞こえるかもしれませんが、このタイミングでパコーさんの料理を食べることができたのは、最高の経験であり幸せであると確信します。
 
あまりの感動に翌日、新年明けて1月1日の昼も訪れたところ、2日連続で同じ感動を味わうことができました。
料理のあまりの素晴らしさに、ワインの方は印象が残っていません。

2011年再訪し24年前を振り返り、あの頃はお互いに若かったと語り合う

 
日本に戻り、「ペリニオン」の明永さんに「今まで食べたフランス料理の中で一番美味しかった」と報告すると、笑いながら「そこまで凄いというのは、周りの雰囲気とかもあったんじゃないですか?」と信じてもらえませんでした。
それから数ヶ月後、広尾の老舗フレンチ「プティ・ポワン」に行き、ソムリエの方にその話をすると、偶然にも「実は私も同じ時期に行って、おっしゃる通りの印象を受けました」と言われびっくりしました。
 

2011年に再訪した時のメニュー


私はこれまで、ワインでは「世紀のワイン」と呼べる出会いがいくつかありましたが、トータルなフランス料理では今でもこの時だけです。

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