死を受け入れる、ということ

人の死の受け入れ方はどうしたら良いのか、そんな相談がありました。

きっと、長い年月が必要で無理に受け入れることもないと思います。
だけど辛すぎてどう自分に対処して良いのかを探っているのだと思いました。

ワタシは仕事柄、死について向き合うことも多くあります。過去には葬儀の司会という特殊なバイトもしていました。
霊視では亡くなった方からのメッセージもよくあります。
両親も亡くなり、身近な人も亡くなることも多くなってきて「死」についてはよく考えることでもあります。

いつもいた人が居なくなる寂しさで涙が止まらないのだと思うし、いなくなってしまって悲しいから泣くのだと思います。
それはこちら側の勝手なこと。
 亡くなった人はというと、生きる事が終わったので少し休憩できるんです。
次の世界へいく指令が出るまで33年、浮遊しながら旅が続くのかもしれません。
↑ワタシが勝手に決めた妄想です

この世にいた時の感情は、もう無いでしょう。この世にいないんだから 必要ありませんから。
ただ、見えないご縁があって出会った人ですから うっすらと覚えてくれているかもしれません。
怒っていればそれも忘れ、あんなに楽しかったことも忘れます。

死んだらその先は幸せかもしれないし。
死んだ人がかわいそうと、思ってしまうのもちょっと今ではよくわかりません。

それがその人の人生で、人を助けることはできないと知ってからは誰かに依存することなどはやめました。人のことに仕事以外で関わることも少なくしました。世話焼きなのでやってあげたくなりますが、それは人の経験を奪うことになってしまうことにも、気づきました。

生き物は死ぬ、だから「生きもの」なんです。人間も生き物なんですね。
どうしようもないことを考えることは、良いことですが、まずは自分を大切にすること。この世を思う存分明るい気持ちで過ごすこと。
人のことを自分のことのように考えるのは、自分の足で立ってからで遅くはありません。

死を受け入れなくていい。
それは、全員が絶対に経験することで
特別なことではないから。

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#スピリチュアル  #月野ヒカリ

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