(いつまでもあいまいな)モディアノについて(やはりあいまいな)

パトリック・モディアノ。
氏はノーベル文学賞受賞者なのだが、それほど日本での知名度はない。

筆者も、氏の作品は何度か借りたが一冊も読めていないのだ。

そこで「モディアノ中毒」というモディアノの解説書を借りた。
読みがてら記録しておこうと思う。 
(よってこの先の記事はすべて松崎之貞氏「モディアノ中毒」からの引き写しである)

〈伝記的事実〉

氏の本名は「ジャン・モディアノ」。(「パトリック・モディアノ」はペンネームらしい)。
父はユダヤ系フランス人、アルベール・モディアノ。若いときはガソリンの密売に手を染め、パリの盛り場を渡り歩いていたらしい。

「モディアノ中毒」ではしばらく父親の話が続く。
アルベールが二十七歳のとき、二次大戦が起こる。
翌年の四十年にはフランスがドイツに降伏、パリを含むフランス北部はナチスの占領下に置かれる。
本来は警察署で身分登録をする必要があるが、アルベールはせず、(おそらく危険を回避するために)友人の名前、アンリ・ラグルアを名乗っていた。
本来はもう少しモディアノ父の話があるが、このあたりで割愛する。

母型の祖父母がわたしの世話をするためにアントワープからパリにやってきた。わたしはいつもかれらといっしょだったので、フラマン語しかわからなかった。

「南十字星」p32

祖父母の話す「フラマン語」とは、大きくはオランダ語に含まれる言葉のようだ。
そのため、幼いパトリック・モディアノには、両親の言葉(フランス語)がわからなかったらしい。

2年後には、弟リュディが生まれる。

母ルイザは二人を置いてコート・ダジュールやスペイン近くのバスク海岸で、ロシア人のプレイボーイや、バスク人の貴族と遊んでいたらしい(今なら「ネグレクト」と呼ばれておかしくない行為だ)。
(父親の記述は見つからない)
その後、パトリックは小学校に入学するも、軽トラックにはねられる。
このとき、手近の修道院で氏はエーテルの染み込んだタンポンを使い眠らされる。
この事件は、モディアノ氏の記憶に傷として(エーテルの匂いと共に)残る。
(調べたところ「溶剤臭」とある、シンナーの匂いが近いか)

その後もいかがわしい男女の行き交う家に預けられることや、弟リュディが死ぬなど、様々な不幸がモディアノ氏を見舞う。

その後氏は寄宿舎で暮らす。生活環境はかなり悪かったらしい。
さらには母、ルイザに父から金をせびるよう脅されるなど、苦しい日々が続く。

〈モディアノの父親〉

父親アルベールの四人の従兄弟は全員、イタリアにいたss(ナチス親衛隊)の手で殺されている。
この、いかがわしい(密売に手を染めていた)父親は、同時にナチス政権下の犠牲者でもあった。
(筆者(私)は村上春樹氏の父親を巡る問題を思い出した。父親の原―不安は、想像力(小説)の領域で息子たちに「あいまいな怯え」として受け取られる傾向がある、モディアノ氏がどうかは知らないが)

〈モディアノの母親〉
母親の愛の欠如を、モディアノ氏は年上の女性たちに求めたことが語られている。

パトリック・モディアノ本人の話に戻ると、彼は生活のため盗みを働いたこともあったという。 
また、

小説を書くなら、政治的感心はかき消さなければなりません。作家が政治に関わるなんてグロテスクです。

これはモディアノ氏の言葉で、ただちにうなずくことは(私には)できないが、氏の生い立ちを見るに、無理ない言葉だったと思われる(日本でも二次大戦後活躍した作家で似た発言を見る)。

〈モディアノの小説技法〉

記憶に多くを寄るとのこと。
そのため、現実を歪めることも辞さないという。
「モディアノ作品では非常にしばしば雨が降るため、「雨男」といわれたこともある。」
思わず笑ってしまった下り。
モディアノ作品の冒頭は霧のようにぼんやりしていて、話がつかみにくいとのこと
(筆者(私)が読めなくなった理由が期せずしてわかった)。
氏の小説は基本的には一人称で語られる。
また、「語り」のあいまいさに特徴がある。

それは朝も早いころ、ダンフェール=ロシュロー広場【モンパルナス墓地近くの広場】のカフェでのことであった。ぼくが同い年の恋人といっしょにいると、ジャンセンがすぐ目の前のテーブルに坐(すわ)っていた。かれはほほえみを浮かべながら、ぼくらを見ていた。そして、隣のモールスキン【厚手のコットン生地】の座席の上に置いてあったバッグからローライフレックス(筆者(私)注:ドイツメーカーのカメラ)を取り出した。

「ひどい春」p11

確かに、「同い年の恋人」や「ジャンセン」の顔形の描写はない。

―「こころの軽い疼(うず)き」「薄明かり」「記憶喪失」「夢遊病者」「底知れぬ悲しさ」「めまい」「空虚感」「ビクビクする」「人っ子ひとりいない街路」「生きることのむずかしさ」「不快感」「ぎこちなさ」……モディアノ語はすべてが短調の響きを蔵している。

この解説、詩的だ。

作品は複雑な時系列の運動を持つ。また、自由間接話法による〈声〉の魅力がある。

彼の話し方はイントネーションがときどき変だったので、外国人かと思った。あとになって、このバドマエフという名は、ほとんど記憶にない彼の父の苗字だと説明してくれた。(注:ここから「人だった。」まで間接話法)ロシア人。しかし、彼の母親はフランス人だった。初めて会ったあの日に、彼が住所を書いてくれた紙切れには、モロー=バドマエフとあった。

「さびしい宝石」p34

作品で登場人物の名前を利用することもあるという(ポール・オースターを思わせる)。

また、〈探索〉が作品のモチーフとして使われる。「ナチス占領下のパリや、あるいはかれが青春時代を送った一九六〇年代の空気」を「(略)電話帳、ポスターや切り抜き、あるいは犯罪記録」を集めることで見出そうとする。

だが私は忍耐強い人間だ。雨に振られながら何時間も待つことだってできる。

「1941年。パリの尋ね人」p22

ここからさらに詳しくモディアノ世界の紹介があるのだが、もはや引き写しが難しいので割愛する。
多くはモディアノの「語り」の魅力についての話だった。

要点のない話であるが、これはすべて二次情報にもたれた私の責任である。
モディアノ、しかし、読める気はしないのだ…





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