鷺沢萠「酒とサイコロの日々」など

鷺沢萠は1968年生まれ、2004年死去の女性作家。享年35歳。
高校3年生のとき書いた「川べりの道」で文學界新人賞を受賞している。

さて。この早死にだった作家は、今どれほど読まれているのだろうか。
と、書いたが、実際読まれなくなりつつあるのも分かるのだ。
上の「川べりの道」に加え「葉桜の日」、「ウェルカム・ホーム!」など、私も彼女の作品はそれなりに読んだ。
その感想から言うと、彼女は(伝わるか分からないが)「宮本輝」タイプの作家である。
つまり、デビューは純文学系の賞なのだが、書いているものは娯楽、通俗性に流れている。
しかも、だからといって純文学が苦手とする大胆な仕掛けや伏線、ストーリーの面白さがあるのでもなく、人間の感情を「ほどほどに」「それなりに」描く(意地悪な言いかただが)。
彼らの書く人間はだから、ときどきひどく薄っぺらい。人間の持つ暗い部分、いびつな部分を充分書けない以上、どうしても作品が表面的に終わるのだ。

例をあげると、「葉桜の日」ではラスト、こんな文章で話が終わる。正確な引用ではないが、大きく間違ってもないはずだ。
「葉桜も、いつかまた花をつけるのだ。」

もう一つ。「帰れぬ人びと」から。
「大人というのはみんな、帰り道をなくした帰れぬ人びとなのかもしれない。」

これらの文章に感動する人がいるならそれはいい。が、むしろ筆者は白けてしまう。
本来、この文章は読者の心のなかで語られるべき言葉ではないのか。話の結論が、彼女の小説では話のなかに出てきてしまっている。
その結果、作品そのものがきゅうくつな教訓話のような印象から外に出ない。

さて、ここまで散々文句を言ってきたが、今から私が紹介するのは彼女の小説ではなく、エッセイだ。
タイトルは「酒とサイコロの日々」。つまり、酒と賭博(麻雀)の話である。
このエッセイ、とにかくいい意味でくだらないのだ。いい年したおっちゃん(作家やプロ雀士)たちがへべれけに酔っぱらい、鷺沢萠と麻雀ばっかりしている。そして待ち牌や捨て牌のミスやら悔いやらが、延々語られる。麻雀に縁のない人には今ひとつ話がわからないかと思いきや、文章のテンションが高いので、それだけでも楽しい。
ただし、一つだけ怖い話があった。

あるとき、いつも通り酔った鷺沢氏が目を覚ますと、真っ暗な部屋に閉じ込められていた。そう、拉致監禁である。
何しろ、鷺沢萠といえばそれなりの売れっ子作家、顔だって割れている以上、犯罪者に目をつけられることもあったのだろう。
鷺沢氏は必死でそこから逃げようとするが、出口はどこにもなかった。
そのとき、ドアが開いた。人が入ってくる。明かりがほあん、と灯る。見ると、なんとエレベーターなのだ。昨夜酔っぱらって乗った鷺沢氏はそのまま倒れ、エレベーターがボタンの操作が一定時間ないと明かりが消えるタイプだったので、真っ暗になったのだ。ボタンを押していないのに扉が開くはずもない。乗ってきた人は、朝になりエレベーターを使おうとしたマンションの住人である。向こうもさぞ驚いたことだろう。

とこの手の、なんともバカバカしい話が教訓も深みもなく289ページ続くのだが、それに文句のある読者はいないだろう。
個人的には、谷崎潤一郎の「猫と庄造と二人のをんな」を思い出す。これもいい年した男女三名が猫一匹で大揉めする話で、谷崎によるセルフパロディの趣きさえある。

あるいは、ポール・オースター「ブルックリン・フォリーズ」。以下に書評を貼っておく。

平和というのは、人間の愚かさを笑えることなのだと、各作品を読んで思う。そして平和が失われるのは、笑うことの出来ない大きな愚かさが現れるときだということも、同時に。

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