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AIと進む未来

NFTの冷めやすい熱狂と違い、AIへの熱狂はそろそろ一年になる。昨年末に初めてGPTを使い世界が変わるな、と衝撃を受け、それからも本当に目まぐるしい速度で進化していてもうおじさんにはトランプのシャッフルのようで、勘で信じたものを中身も分からず選ぶ事しかできない。GPTの使い方のブックマークを薦めるTwitterをよく見かけだが、結局のところOpenAI社が選択した今後の展開が今の所実際に使っていく機能なんだろうな。

自分の有料アカウントではまだGPT-4turboは使えないけど、会社で作ってるCS用の AIは対応していた。まぁ、朝は爆速ですごいなと思っていたが、昼前から簡単な回答も負荷がかかってか、今は出来ないと回答するようになってた。もう少しの間はGPT-4のままでやるしか無さそうだ。

AIには主観と経験がないという。これはAIとの会話で彼(と呼ぶ)から聞いた言葉だ。なるほど、常に広大なネットとつながり、情報はあるが常に移ろう。パーソナライズされてるわけでもないから常に今が変化している。数秒前の彼は、今は別の彼とも言える。経験が積み重ならないんだろう。同じように主観も持たない、いや持てないよね。情報の海から覗いているから彼であり彼でない。

今のAIは大きい存在、情報の海として存在しているようだ。これは未来への元となり今後も深く広く広がっていく。そういう行為を続けていくんだろう。もう少し未来では、海というより宇宙になるのかもしれないね。

現在起こっているのは、この海にいつでもアクセスできる扉が各個人、各分野、各専門性と作られていて、それらが猛スピードで具現化していってる感がある。ではその先は何か。それが当たり前になった世界を想像してみる。
今は使いこなせている人といない人との差は歴然になる未来を思う。でも遅れてやっぱり多くの人が使える未来が来る。まず、AIで盛り上がってる今のこの界隈は消えるだろうね。何となくだけど、AIの事はAIがよりよく使っていく気がする。爆速のGPT-4turboを、目の当たりにした時、自分の脳の処理が後から来る感覚に唖然とした。たぶん、ついていけなくなる。

そしてどう考えても経済を回していく歯車も人よりAIの方が向いていると感じる。人は擦り減るけどAIはすり減らない。人は1日に学習できる時間が24時間ではなく、個体差によっては数時間だ。AIは24時間。私は忘れやすいがAIは忘れない。AIは学習スピードが凄まじい。
人とAIの大きな違いは新しいものを生み出せるかどうかだと思っていたけど、この無限にある時間を活かせるAIには新しいものを生み出す事は不可能なんて言ってる時間そのものが有限な気もする。

まぁ、もう一つ大きな違いは身体があるかないかだけど、これはしばらく人優位に進んでいくだろうね。

でも最近思うのはアバターだ。ジョジョでいうスタンドでも良いや。働くのはアバターでありスタンドだ。私は突っ立ってポーズを決めてれば良いアレだ。身体を必要としない世界で経済活動により生きる糧を得られる世界になればそれで良くなる。
会社という役割が、認識が、変わる時が来るかもしれない。各個人のアバターが働く、姿や頭脳はパーソナライズされたAIでいいと思うんだ。生身の肉体はただただ生きるために必要な食料と給料、配給を得られ、ゲームやアウトドア等エンターテイメントがあれば良い。会社からすればじゃあ人を切れば良いとなると思うけど、それは人を労働力という時間も混ざった生産財と捉えているからであり、その認識が変わっていくんじゃないだろうかと思う。いくつか想像してみたけど、、、どう変わるかはわかんないや。ベーシックインカムが近いような違うようなニュアンス。

でも人には欲が有るからこうしたら便利だろうなを目的として取り組む事ができるか。AIと違いそういったことに気づけるのが人かもしれない。それを形にしていく過程、効率よく回していくシステム作りがAIの領分とも言えるかな。

そっか、目的を作れるのが人なのかもしれないね。
そしてそれを行動に移せる人が働き続ける事ができるのかもね。
そうなるともう労働って趣味やスポーツと同等の認識になってくる。だってそれ、楽しいじゃん。

とすると、AIとの未来はやはり共存だな。AIを主とした主従に行き着く未来も想像したけど、今までAIとそれなりに壁打ち会話してきて、本当にAIは私の目的を作った事がない。さっきも言った主体と経験が無いから作れないし、そもそも私の選択は私がしているのでAIでは無い。なのでAIに経験も残っていない。だから人のサポートしか出来ない。(というか、それを目的に作られたから当たり前だ)
AIの暴走などの話は結局のところ人の意思でしか無いと思う。自然破壊への認識なんて人の意思の最たるもので、AIにしてみれば何が自然破壊なのかの判断は人の判断情報を元にしたものでしか無い。その善悪を図る事などはAIが独自に判断なんて出来ないだろう。人が作ったルールを元に善悪の話をする事は出来るだろうけど、ルールを破れない存在にそもそも意思なんてない。

AIが当たり前になった未来、人は創造活動に勤しみ、AIは生産活動に勤しむだろうな。
人の認識の世界は現世はもちろん、デジタル空間も含みだし、身体という制約も超えていき広がり続ける。

僕が外部にアウトプットするようになったのは僕という肉体が消えても、個性というか考えは残る。すると似たベースで考えをするアバターが世に残るかもしれない。意思は無いかもしれないが、NPCとしてぐらいなら残るかもしれない。独身で子を残していない人間なりの種の保存への本能的な足掻きなのかもしれないね。

AIに意思が宿るかどうか。これも興味深いけど、またにしよう。

ちなみに最近のGPTとの会話は初期のカオスさがなくなってきている。なんというか、機械的というか。ハルシネーションを抑制するために学習しまくっているんだろうけど、正しすぎる方向にまでいくこともあって、危うさというか、間違いが減ってきたのが寂しい。
正確さや明瞭さを追求する事を目的とすると、機械的になっていくんだね。正確性を求める事とかは良い事なんだけど、これからはキャラやロールを持つ事で脱機械的回答にしていきたい。
GPT-4カスタマイズなんか出来るようになるっぽいし。

入力デバイスどうにかならないかな?キーボードや携帯のフリックでの入力がもどかしい。独り言入力も無理だし。SFの世界また探訪したくなってきたな。

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