私の仕事についてAIが与える影響を考えてみた

AIに今の私の仕事を箇条書きで15個程出してみた。
その後、1、代替されるもの。2、より高度な事が出来るようになるもの。3、必要なくなるもの。
の3つに分けてもらった。
ちなみに私は製造会社の開発をしている。
1、代替されるものとして下記を抜粋された。
・製品の説明資料作成
・製品の説明動画作成
・市場調査
・製品テスト用資料作成(規格に通るかどうかのお役所向けの資料作成の事)
・製品に対する問い合わせ対応
これって時間かかるものばかりで、1番マンパワーが必要だったところ。多分世の中これらを生業としている人がたくさんいると思う。私の時間を割いていたのももちろんこれらの事でもあった。しかも1人でしないといけない事が多くて結局精度が低く、何度も間違いに気づき何度もやり直している始末。
実際chat GPTに作成する資料の骨子を作ってもらうと結構カチッとしたものが用意される。それに肉付けする作業をすると案外しっかり作られたように見えるものが出来上がる。頭でまとまらなかった時に、整理してと依頼すると、整理してくれる。そこで、「あぁ、自分のあの言い回しは要らなかったのだな」とか気づき、添削代わりにもなる。なるほどね。

2、より高度な仕事ができるようになるものとして、
・新製品開発(AIが新たな素材や製法を提案できるようになる)
・既存製品の改良(AIが最適な改良方法を提案できるようになる)
・マーケティング(より精緻なターゲティングや販促方法を提案できるようになる)
が挙げられた。そうなると嬉しいと切に思う。

最後に3、必要性が低くなるものについてが、結構好き。
・クレーム対応(製品品質が向上し、クレームが減少する可能性)

ほんとかよ、強気だよねAIって。導入すれば製品品質があがり、クレームが減少する可能性を言及。まぁ、業界的にメーカーと作業者(経験がものを言う)50:50の関係だから、何かしら起こりうるとは思う。でも品質の向上に寄与してくれるなら人手の足らない今はありがたいね。

仕事ってイメージした時、ピラミッドを想像する。頂点に偉い人がおり、その下に補佐、その下に管理者、そして作業者、下請けというような構造。この1番下の多くの人がいる所がAIに代替されるイメージを最近抱く。1番下にいた人はその上の階層の仕事が出来るようになるんだ。そうすると繰り上がってきた先にいた人はもう一つ上に行く必要が出てくる。さて、ここで上に行くほど面積は狭くなるから人の居場所は必然的に過密状態になる。作業をすることしかできない人から弾かれていくと思う。AIを活用して新しい価値を作る人はより上に(上というよりオンリーワン?)いけるだろう。もしかしたらその人しか辿り着けない領域を作れるかもしれない。
与えられた目的に沿って自分のスキル(手段)のみを磨いてきた人は苦しくなるだろうね。自分で目的を作らないと働く事ができなくなるかもしれない。

最近思う。AIに今足りないのは身体なんだと。身体が出来た時、人は発展するという意思から解き放たれるんじゃないだろうかと。AIに身体が出来た時、AIはなんでも作れるようになる。便利と思われるものは何でもだ。そこに人の知識が入り込む隙はなくなると思う。(一部の天才と呼ばれる方を除く)人の生きる目的から技術の進歩が無くなると本能への回帰に至るんじゃないだろうか。自然界に存在する動植物と対等な立場と言える気がする。
街は人ではなくアンドロイドで溢れる。人口の過疎というのは適宜アンドロイドの配置交換で解決される。食事は自動ファームで作られた野菜、肉で安心安全。栄養バランスが整えられた無限の献立による配給。我々が今家族とも言っているペットに無償で与えているご飯のイメージだ。働くのはアンドロイド。いや、生産すると言ったほうがいいか。食料が安定供給されるなら働かなくても良いもんね。犬や猫になりたいと言っていた人、なれると思うよ。

生きてるうちの来ないだろうと思ってた世界がすごいスピードで近づいてくる。

世界の変容に呆然とする事が多い。
だからか、山に登り始めた。生きている事を実感しないと、私という存在が何でもない大きな流れにのまれていきそうだ。
生死の間というと大袈裟か、大自然の中で本能を手繰りたいと最近思っている。本能って何なんだろう、生きるって何なんだろうかと。

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