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自転車の鍵をもらうとき、警備員の人から「絶好の自転車日和ですもんねぇ!」と言われる。
昨日もこの人に同じことを言われた気がする。昨日は「そうか?」と思い、実際そのあと雨が降ったので、すぐに鍵を返した。
今日は素早く「そうですね」と笑って返すことができた。

銭湯に入って、休憩所でブコウスキーの『郵便局』を読みながらギャグ漫画を家で読むときのように笑っていると、同じ実習班の人から
「実習お疲れ様ってことで3人でご飯行きませんか?!」
とLINEがくる。

この大学では、留年すると2つのパターンのいずれかになる。
1つは現役生に溶け込んで部活の先輩のように受け入れられるパターン。
もう1つはヤバい人として距離を置かれるパターン。

僕はこのうちのどちらかというと後者、というか、紛れもなく後者だが、人当たりがいいので、このような誘いを受けることもある。
今回の班でも、関わりは少なかったが、ちょっとした合流の時間にはそれなりに円滑なコミュニケーションが取れていたし、余裕のある対応をしたので、その「リザルト」としてこの誘いが来たわけだ。
彼らは、というのは僕以外の医学生全員だが、実習が終わるとその区切りとして、毎回脚韻を踏むように食事会を行う。それは親密性には関係がなく、とりあえず同じ班の括りで行われる儀礼のようなもので、
よっぽどの外れ値(ち)でない限りは、この食事会の参加資格を得ることができる。

僕は店に行くまでの道中のことなどを考えたり、会話のシミュレーションを行ったりしながら安楽椅子に座っていて、8割方、ほとんど行きたくなかったのだが、
今、こういう会を断ったら、一生断り続けるような気がしてしまって
「いくー」
と返した。

18:10分のバスで駅まで向かうことになった。寮からバス停まで一緒に歩くのがいやで、先にバス停の方に行って20分ほど歩いたり写真を撮ったりしている。夕方のこの晴れ方、この風は、人生でも数えるほどしかないと思うので、写真を撮る。涼しかった。
時間になって彼らが来て、僕らはバスの2人掛けの席を、空いているので1人ずつ座る。そのまま黙って駅に向かった。陽はまだ高かった。

店に着いて、ぎこちなくみんなでメニューを見ながら一気に全部頼んでしまうと、好き嫌いも言い出せずに、嫌いな海鮮サラダが頼まれ、それを取り分けて口に入れる。
僕が1人で、2人の真向かいに座る。僕は、向かいの2人の、難易度「難しい」の音ゲーになんとか合わせるようにして相槌を打つのが精一杯だ。
彼らは優しいので、しばらくしたら僕に話を振ってくれる。僕だけはみんなとほぼ初対面に等しいので、初対面の人への質問カードを切ることができ、彼らとしてもその方が容易いのだ。
実習のことがやはり共通する話題なので、実習についての愚痴を言い合う。僕は、この実習はかなり理不尽だと思っていて、それを愚痴として、あるフォーマットに沿って感情が処理されるのは正直嫌なのだが、ここではそういうモードなので、ゲームなので、ルールに従って、「愚痴」のフォーマットに収められるテンションの、語りをする。それぞれの先生の、力関係なんかを、それぞれが得た断片から想像して話し合う。暮らしを想像する。

ここでは逸脱が、良くないコードだ。
強すぎる言葉は出さないようにする。
過剰に心配したり、過剰に物事を受け取ることも、あまり良くない。
心配性に関して言えば、医学部では、大学側がちょっとしたことで留年をチラつかせたりするので、実際みんな神経質にはなるのだが、そうだからこそ、自分より心配性の人がいると、自分の不安を笑い飛ばそうとして、その人を馬鹿にするのだと思う。

「○○ってわかりますか?」と同じ学年の人が話題に出される。
わからないけど「わかるよ」と答え、〇〇さんについての話を聞く。
「○○はマジでその自信、どっから来るの?ってくらい自信満々に振る舞ってて、それに根拠がないんですよ」
「どういうこと?」
「なんか直前に詰め込んだ知識を先生に聞かれて答えたりするじゃないですか?そういう時に先生から『君すごいね、勉強できるでしょ?』とか言われて、それで『はい』とか言えちゃうんですよ。普通謙遜するじゃないですか、本当に勉強できる人だったら」

僕らは同じ大学の医学部なので、本当に優秀な人は学年に2、3人ずつくらいいるが、それ以外の学生はほぼ同じくらいの頭の出来で、同じ分だけ勉強したら、だいたい同じ精度で出力できる。

「それでバックの持ち方とかも、先生の前だとちゃんとするのに、私たちの前では背中に背負ったりして、寅さんみたいに」
「なのに変なとこ心配性で、ガウン着る時とかに『これってどっち回りに着るんだっけ』とか小声で聞いてきて、そんなんどっちでもいいからとりあえず着ればいいだろって。だから、失敗したくないんでしょうね」
「あーでも、それはしょうがないかもね」
話をする人がいて、それ以外の人は強く肯定も否定もしない。優しい言語ゲームだ。

その店に、1人の子の、部活の先輩がやってきて、隣の席に座る。
部活の会を断って、3人の会に来てくれていたらしい。それが偶然同じ店になる、というかこの辺りにはこの店くらいしかないので、当然そうなる。
その子は先輩が来るたびに土下座をして、笑いを取っていた。
先輩らの会合は時々大きな笑いが出て、こちらの席では小さな笑いと落ち着いた会話だ。先輩らがチラチラその子を見て、いつもと様子が違うのでニヤニヤしている。

「この人の知り合いだったとしても、あんたらに俺らの会合をジロジロ見られる筋合いはない」

と言うこともできたが、当然、しなかったし、そんなこと別に、そのときは思いもしなかった。

僕が演劇をやっていることは知られていて、それについて聞かれる。
質問に答えている間、他の1人が別の質問を考えられるので、理論上無限に話が続く。
収益とかの話になって
「それ、楽しいんですか?(収益が出ないので)」
と聞かれ
「確かに、おかしいよね」
と答えると、
もう1人が
「少し、不思議ですよね」
とフォローする。

「好きな作家とかいるんですか?」と聞かれ、いつものように「大江健三郎って人」と答えると、2人とも知らなかった。
「どんな話を書くタイプの小説家なんですか?」
「主に自分の話を書くかな、私小説」
「それって面白いんですか?めっちゃ面白い人生送ってないと、難しそうじゃないですか?」
「まぁでも話し方によるんじゃないそれは。こういう会話だって同じことで、自分の身に起きたことを話してて、それでまぁ会話を楽しんだりするわけで。話し方次第でその人が面白いってことになったりするじゃん?あんまり体験に差とかってないと思う」
この日記だって同じことだ。

店を出ると、1人は部活の会に合流することになって、2人きりで帰る。
自分がだいぶ高い声で、いつもより高い声域で喋っていたことに気付く。だけどもう、そのまま、高い声で喋りきって、歩いた。

寮の部屋に戻ると会話の反省会をしてしまいそうだったので、日記も書かず、レポートの続きもせず、すぐに寝た。
それで今、これを書いた。










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