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昨日からの流れで、中学のときに何部に入っていたらよかったかを話す。文化部は吹奏楽と美術部と科学パソコン部しかなくて、吹奏楽と美術部は女系社会で、陰キャ男子はカッパ部に入るしかなかった。運動部ということになると、僕は自分から苦しむことはしたくないのだった。
「これまで何か自分から意識的に苦しみに行ったことは一度もないかもしれない」
と言うと、
「〇〇くんは根性がないもんね」
と言われた。
根性という言葉の素朴さと、「根性なし」というのが案外いちばん端的に僕を表す言葉なのではないかと思って、2人で大いに笑う。
「これまで〇〇くん何か足りないなー、と思ってたけど、そうか、根性だった」
それから僕は「根性なし」という言葉に固執して、今日は何度も「僕は根性なしだもんね?」と確かめるように言い続けた。
「根性なしというのは繊細さとも言い換えられるよね?」
「耐え難い時に、耐え難さに気づかないスイッチを入れることを根性って言うんでしょ」
僕は根性がないのでスポーツができない。
大体ルールが決まっているものには根性がいる。
演劇は、根性がある人も多いし、実際、制作の微調整や演技、段取りなどは根性がいる。根性がなくてもできる方法はあるかもしれない。
演出はどうか。演出の実地での細かいやり取りは根性がいる。劇作はどうか。パソコンの前に座るのは根性だ。だけど、演出と劇作をやる前の心構えというか、全体の企て、作品の上で走らせる目論見みたいなところは、本質的には「ものぐさ」なのではないか。ルールを自分でこしらえて、そのルールの中で勝手に1位を目指すのが、演劇のやることだとは思う。それは根性なしにこそ向いているのではないのか。どう思うか。
お互い昨日は疲れていたみたいで、昼過ぎまで二度寝する。起きて、冷やし中華を作る。きゅうりは一本で大量の細切りになるのに、一本まんまで食べるとすぐに無くなる。きゅうりのたたきも出して、さくらんぼも出した。冷房がついている。生麺は細くて汁が甘い。錦糸卵を焼いた。中が半生でとろとろの、分厚く切られた、薄い卵焼きだ。
疲れてまた昼寝して、皿を洗ったらコメダに向かった。
ミソパンは2人でも油で気持ち悪くなる。サマージュースは謎。クラフトコーラは高すぎる。シロノワールを後で追加して食べることになって、コーヒーも追加注文した。昼寝と冷やし中華とコメダだけの日だったが、妙に楽しくて、それだけと言うがそれ以外に別に大したことがあるわけではないので「今日楽しかったね」と口に出した。
「コメダから帰ったら、一回落ち着いて、そしたら帰んなきゃいけない」
根性がないので、中央線で嫌になった。
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