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自殺未遂と想像力の関係性

親族の自殺未遂


“おじいちゃんが自殺しようとした”
そう実家で暮らしている義理妹から連絡があった。


私の実家は4世帯で暮らしている。
私から見た家族構成は、

母方の祖父と祖母

弟と弟のお嫁さん
その子供である甥
週の半分以上遊びにくる、母方の叔母とその子供である従兄弟

いとこと18歳年が離れていて
その子が生まれたことをきっかけに
毎年みんなで誕生日会をするくらい仲良し家族👶

おじいちゃんは
元々仕事一筋でな頑固おじさんだけど、
怒ったところは見たことないし、
マック行きたい!って言ったら連れていってくれるような優しいおじいちゃんの印象があった。

そのおじいちゃんが自殺?

びっくりしすぎて、何回もそのLINEを読み返しているうちに涙が溢れてきた。

ぼーっとして、涙が渇くともう一度そのラインを読んで泣いた。
泣くことで、おじいちゃんへの気持ちを
自分自身が確かめようとしていたのだと思う。

私を通して見えているおじいちゃんは
孫と祖父の関係のおじいちゃんだけ。

おじいちゃんが若い頃どんな性格だったか、
どんな交友関係があったのか、
今何を楽しいと思って、何を辛いと思っているのか、想像をしたことがなかった。

勝手に自分の中のおじいちゃん像を作り上げていたからこそ、おじいちゃんが自殺をするなんて想像もしていなかったんだなぁと。

これをきっかけに改めて
その人が発している言葉や、行動が
その人の全てではないということ。
それはその人のたった一面でしかないということを感じた。

人生は、全てを経験するには短すぎる

では、
その見えている一面だけで、
その人をできるだけ正しく判断するためには
どうすればいいか?

そこに必要なのが”想像力”だったのではないかと思う。

私はこれをされたら嬉しいから、あの人もきっと同じことをされたら嬉しいだろう。
私はこれが嫌だから、あの人もきっと嫌なはずだ。

それで正しく判断できているのか?

自分とあの人は違う存在。
生きてきた時間や、環境も違えば
考え方や価値観もまるで違う。

それなのに、私を通したあの人を
私は正しく想像できているのか???

一度経験をすれば、
あの経験があった

その時あの人は嫌だと言っていた

次はしないようにしよう

などのように経験をもとに判断ができる。

だが
人生は全て経験するには短すぎる。

だからこそ想像力でカバーしていかなければならない。

相手のことを自分の尺度でしかそうぞうできないのであれば、

その尺度はちゃんと正しく測れているのか?
体重や身長だけの尺度ではなく、
人間ドッグみたくいろんな尺度で測れるのか?

その尺度の正確性、客観性、幅広さが
視野の広さに繋がってくるのかもしれない。

狭い世界に住んでいたら
自分の視野は広がらない。
いろんな経験をして、いろんな人と会って話して、いろんな本を読んで、、、

できることは様々だ。

ただまずは自分とあの人は別物だということ。
正しく相手を理解するのは、自分の力量次第であり、自分が歩んできた人生そのものだということを心に留めておきたいと思った。

きっかけ

おじいちゃんはなんとか、
ご飯を食べてひ孫とたまに遊んだりしているくらいに元気にはなった。

ただ想像力の欠如で
自分の思いもよらない悲しいことが起きたり
相手に悲しい思いをさせてしまう人間にはなりたくない。

そう改めて思った経験だった。

私は今後障がい福祉分野に携わっていこうと思っている。
(2024年2月に就労支援多機能型事業所を開所予定)

世間一般的に歓迎される職業ではないかもしれない。

でも、”障がい”に触れてみたら
意外と自分が想像しているよりなんてことないことだったりもする。
それと同時に自分が”障がい”に対して差別感情があったことに気付かされる。

ただ、そのきっかけが
想像力を膨らませるためのきっかけになるのも事実だ。

現に私がそうであったように。

私がしたいことは、想像力を膨らませるためのきっかけづくりである。

どうすればもっと”障がい”と世間では呼ばれる人たちが生きやすく過ごせるのか?

それは今よりもっと多くの人が
“障がい”について正しく想像することではないかと思う。

そのためのきっかけ作りの場が
カフェになるよう頑張ります!

https://note.com/abigirl_4289/n/n9ea60a0efdc2

今回もご視聴ありがとうございました!

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