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表現の不自由展 かんさい(4) 群馬県朝鮮人強制連行追悼碑

群馬県朝鮮人強制連行追悼碑は「朝鮮人・韓国人強制連行犠牲者追悼碑を建てる会」が、2004年「群馬の森」に建立した。県とは話がついていた。
その後、そこで追悼式が開催されてきた。

が、右翼による街宣活動の活発化していく。
これを忌避した県は
(1)追悼式の一部が「政治的行事」に該当する。(建立の条件に違反する。)
(2)碑が「紛争の原因」になる。
のを理由に2014年、碑の設置更新を不許可にした。

これに対して、「『記憶・反省そして友好』の追悼碑を守る会」が県を相手取って、不許可の取り消しなどを求めて訴訟を起こした。

前橋地裁は、2018年の判決で、県による裁量権の逸脱を認めた。設置更新不許可処分について違法であるとした。(今回展示されていた映像作品は一審判決が出る前で終わっていてこれではその後の経過がわからない。)
判決を不服とした県側は、東京高裁に控訴。
「守る会」も更新許可の義務付けを求めて第二審が始まった。

まだこれが結審していない模様である。(パネルには高裁で係争中と書いているが、経過説明をはしょりすぎてはいないだろうか?)

↑この県議会の決議に対して、「『記憶・反省そして友好』の追悼碑を守る会」が撤去取り消しを求めて2014年に訴訟開始。

↑映像は2016年で終わってしまうが、その後、一審判決は「撤去取り消し」。県が控訴して二審が行われている。

さて、追悼式やそこでの行事や発言の一部が政治的であるというのは、私の考える限り、県が条件違反をいうための口実だろう。
事実の記憶に基づき、反省し、友好を深めるためにこの碑は建立されたのであり、そのことははっきりと日本語とハングルで記されている。

そのことのために建立されたのだから、そのことのための追悼式で「記憶 反省 友好」を確かめつつ、強制連行された人たちへの哀悼を捧げるのは、当然である。

そもそも言葉の本来の意味において「政治的」であることは何らまずいことではないが、悪い意味において「政治的に偏向」しているのは、むしろ右翼の歴史修正主義者たちである。
事実をなきものにしてしまえば、反省の上に立った友好関係を築くことも不可能となる。
しかし、事実を捻じ曲げようとするのが、歴史修正主義である。
実は修正という言葉は誤用であり、むしろ歴史粉飾主義と呼ぶべきではないか。

問題は、県がいったん認めた碑の設置を取り消す本当の理由である。
県は、右翼の歴史粉飾主義者たちが、街宣などを繰り返し、平安をかき乱す「紛争」になるのを口実に、歴史粉飾主義者たちとそれにつながる政治勢力に呑まれたのである。
しかし、それでは県がヘイトスピーチに加担しているだけではないか。
紛争を嫌う日本人の心根自体には、美しい点もある。
しかし、そのような日本人の「やさしさ」に乗じて、がなりたてる右翼に対して平安が大事だからと屈するならば、暴れたもの勝ちである。
そして、それを支持、少なくとも利用しているのこそ、日本の与党政府なのである。
紛争を嫌う日本人の「美徳」は残念ながら、ここではより大きな罪を繰り返す道に利用されてしまっているのだ。
そのことに怒りを感じずにはいられない。

↑「群馬の森美術展2017」に出品される予定だったモニュメント。
これもまた直前に出品取り消しになり、愛知トリエンナーレに展示された。
この巨大なモニュメントは今回の「表現の不自由展かんさい」の小さな会場には、展示されていなかった。(上記の写真だけである。)

今回、映像、写真ではなく、美術品現品として展示されていたのは、辛うじてこのエスキース(下絵)だけである。
小さなスケッチだが、作品の構想の全体像を思想として知るには、うってつけの作品展示であると言えるかもしれない。
和解の座が、事実の直視の先にこそあることが、コンセプトとして重要なのだ。

右翼の歴史粉飾主義者は実は和解を無期延期させ、日本という国を貶め続けている元凶だという自覚を欠いている。
そしてその日本を貶める行為は、今回の「表現の不自由展かんさい」の会場前でも性懲りもなく、大変醜悪な形で繰り返されていたのである。

つづく

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