見出し画像

檀家制度の形成

長崎市立図書館で見つけた『葬式と檀家』という本は檀家制度の形成過程の理解に非常に役だった。
この本は長崎市立図書館では借りられなかったから、近々入手して正確にまとめたい。
今、チャラ読みの記憶でまとめるなら、こうだ。
幕府が寺請制度を導入したのは、もともとキリシタン弾圧のためだ。
が、後に年貢取り立ても含め、人民を完全に支配するため、全日本人に寺請を課した。
こうして宗門人別改帳を作成した。
その際、最も多くの日本人を檀家制度につかまえたのは浄土真宗である。
この宗派は寺数に比して、門徒数が格段に多くなり、92%の日本人を権力用の登録制度に巻き込んだ。
どのようにしてそれを実現していったのか。
汚い例では、島原の乱直後の熊本に、ふたつの本願寺は急激に末寺を増やし、キリシタンの改宗先として門徒数を一気に拡大した。
このようにして浄土真宗を大きな中核として、葬式と檀家制度の江戸仏教は形成されたのである。

(下記の写真の箇所の簡単な解説)
本山からの阿弥陀仏像の布下、熊本地方の末寺の成立は、島原の乱直後に集中している。
このとき、寺請制度の請負寺となるためには、本山からの末寺の寺号が必要だった。それをもらうために本山傘下に入り、上納をするようになった。
浄土真宗の本山支配はこれにより強化され、寺請制度で門徒を増やした末寺はこの支配の構図から抜け出せなくなった。
本山への上納を転嫁されるのは、結局、支配構造の末端の門徒である。


もしも心動かされた作品があればサポートをよろしくお願いいたします。いただいたサポートは紙の本の出版、その他の表現活動に有効に活かしていきたいと考えています。