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悪の自覚論 梅原猛批判

親鸞の悪の自覚があのように深かったのは、源頼朝という大殺戮者の縁者であったからだという梅原猛の説を書いた書き込みのコメント欄でひかるが行った反論。

(以下 ひかるのコメント)

さて、親鸞の悪の自覚の件ですが、私は梅原猛という人は実はあまり信じていません。
彼は歴史学者としては、様々な歴史的な断片や未確定の事実さえ大胆に結びつけておもしろい?説を作るフィクション作家としての才能はもしかしたらあるのかもしれませんが、人間の自己探求という点において、真摯な人であったか疑われる面があるし、仏教学的な捏造はある。何より、彼は中曽根のブレーンとして日本すごい!と言うという仕事をしてきた学者の代表のひとりです。

親鸞の悪の自覚というものについて、親類縁者に多くの殺戮を犯したものがいるなどということは、人類普遍の「業によって何をするかわからない」という真実の一部としてはもちろん関係するとしても、それが親類縁者であろうと、なかろうと、そんなことは関係ない。父母の孝養のためにいっぺんにても念仏したことのない親鸞、すべての衆生は世世生生の父母兄弟であるという親鸞が(歎異抄五条)、悪についてだけ、親類だからどうのこうのというのはありえないと思います。阿闍世の物語を観無量寿経から重視したのも、法然の影響が大きいのはもちろんですが、いずれにしろ、人類普遍の物語!としてであって、しかも一番大切なのは、むしろイダイケが自分はよいことをしているのになぜこんな目に遭うのかと嘆いていたそこへ現われた釈迦が、業の自覚をもたらすという点であると思います。頼朝の縁者であったという説を親鸞の悪の自覚に結びつけて、読み物に仕立てるのは、梅原猛の宗教家としての深さではなく、読み物作りの才?だと思います。

そもそも親鸞はなぜ悪の自覚がそこまで強かったのかと梅原が言うとき、梅原は強くなかったのか? 何か悪行があって、悪を自覚するのか? そのような「理由」がいるのか。梅原は理由がいると考えるからそんなことを考える。しかし、親鸞にとっては人間が業によってこの世に投げ出され、業によって生き死にを続ける存在であることそのものが「問題」の核心です。むしろ「善悪の二つ、総じてもって存知せざるなり」(歎異抄・総結)というぐらいですから、具体的な悪行というレベルで考えているのではない。人間存在の成り立ちについて、自覚しているだけです。

親鸞の罪業の自覚の極まりはたとえばこのような内面を凝視する言葉に表われている。
「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来、常に没し常に流転して、出離の縁あることなし」(教行信証)
ふつう、この部分などをもって<機の深信>という。
またもしもう少し具体的なレベルでいうとしても
「悲しきかな愚禿鸞、愛欲の広海に沈没(ちんもつ)し、名利の大山(たいせん)に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証(さとり)に近づくことを快(たの)しまざることを。恥づべし、傷むべし。(「教行信証」)というのが、親鸞の内奥の自覚です。
梅原にはその自覚がないから、何かしたっけ? ああ、親類縁者がしたんだっけ?と通常の善悪のレベルで考えるのではないんでしょうか。
「愛欲の広海に沈没(ちんもつ)し、名利の大山(たいせん)に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証(さとり)に近づくことを快(たの)しまざる」ことを自覚していない宗教家とは、これいかに? 梅原猛っていったい何なの?って感じ。
こりゃ、ブルーハーツだって、イエロー・モンキーだって自覚している。
「どうすればもてるか、どうすれば儲かるか、それがダメならスーサイドさ」(イエロー・モンキー「TVのシンガー」)

自分の瞑想体験を振り返るとき、その内奥に一点において自覚したことがひとつあります。それはKさんが言われる「黒漫々」と同じ世界をもう少し具体的に表現した「業の底の底」というふうに思います。それは、歴史の中で虐殺「し」、レイプ「して」きた人間存在というのは私のこと、虐殺「され」、レイプ「されて」きた人間存在というのは、私のこととまざまざと感じたということです。そのような時、上にあげたようなふたつの親鸞の述懐が若い私の心にまざまざと思い起こされました。ああ、親鸞もそう述懐していた。そしてそのような存在を解放するものこそが、阿弥陀(原語の意味で限りなき働き)であると述懐していたなと思い起こされました。この「限りなき働き」のままにあることにしか、出離の道はないと徹頭徹尾思い知ることを<法の深信>と言います。先の<機の深信>とこの<法の深信>は必ず啐啄同時に起こります。

話戻って、親鸞の悪の自覚とは、以上述べてきたような道筋における<機の深信>のことです。関係者の具体的悪に関連づけて考察するのは、批判をできるだけ控えて表現したとしても、梅原猛の趣味!!!の問題です。

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