念仏もうさんとおもいたつこころ

第4回暁烏敏賞入選論文

●第1部門【哲学・思想に関する論文】

・論文題名 念仏もうさんとおもいたつこころ
・氏名 長澤靖浩
・年齢 27歳
・住所 大阪府寝屋川市
・職業 高校教諭

(論文 梗概)
『歎異抄』冒頭には「念仏もうさんとおもいたつこころ」の起こる時、摂取不捨の利益にあずけしめたもうとある。

その「念仏 もうさんとおもいたっこころ」とは、どのような「こころ」を指すのであろうか。

様々な解明の仕方が考えられるが、本稿では、親 管に於ける三心の問題を明らかにしようとした筆者の旧卒業論文を下地に、一部改稿して、その内実に迫らんとした。

以下に要約す る。

(一)「至誠心は、如来の真実心であり、自己の在りざまをありのままに見つめる誠の心である。親鸞はそのような真実心が、およそ自我 の中に根拠を持たないことを見てとって、「如来の真実心を須いよ」と訓点を読み換えた。また、この章で私は、如来の心は、いっ さいの生命と存在の底によこたわる大いなる覚醒であることにも言及した。

(二)深心は、現に業を負って流転する我々の、如来の真実 心へと目覚める具体的な道筋を明らかにしたものである。それは、二種深信として発動する。この二種深信の発動するぎりぎりの地 点は、業の中にある者と、業を超えたものとの出遇う不可思議なる一点である。

(三)自我は果てしなく自我に執着するものである故、 得生の想いはその根拠を自我の中にもたない。また如来の真実心はそのままでは、寂静なる覚醒であって、得生の想いとして具体化 しない。廻向発願心は、如来の真実心が業の中にある我々に廻向して得生の想いとなったものである。

(四)二河譬を親響は信心の警愉 とした。また親欒は三一問答において涅槃の真因を信心とした。実にこの信心こそ「念仏もうさんとおもいたつこころ」であるが、 その生々しい表現が二河警である。ここには、自らの内にいかなる救済の根拠も持たないと知るに至った我が、ひたすら二尊に信順 するそのこころの内景が、描かれてある。

そこで健陀多は大きな声を出して、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いて、のぼって来た。 下りろ。下りろ。」と喚きました。
その途端でございます。今まで何ともなかった蜘蛛の糸が、急に健陀多のぶら下っている所から、ぷつりと音を立てて断れました。 ですから、座多もたまりません。あっと云う間もなく風を切って、独楽のようにくるくるまわりながら、見る見る中に暗の底へ、 まっさかさまに落ちてしまいました。
~芥川龍之介『蜘蛛の糸』より~


(序)念仏者のこころ−三心の問題−

親鸞の生の言葉の記録としてよく知られている『歎異抄』の冒頭には

 彌陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念佛まうさんとおもひたつこころのをこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。(a)

とある。では、いったいどのような時、私たちに「念佛まうさんとおもひたつこころ」が起こってくるのであろうか。「念佛まうさんとおもいたつこころ」とは、いったいどのような心を指していうのだろうか。信心のことであろうか。ではいったい信心とは何なのか。
  この問いかけにひとつの重大な鍵を与えてくれるのが「三心」の問題である。

 一般に.親鸞は信心為本の人、法然は念仏為本の人であったと言われている。しかし、念仏者の内面的な心の在り方を問う「三心」の問題は、すでに法然に於いても重要な意味を帯びていた。
  『選択本願念仏集』には「念仏者必可具足三心之文」と題された章がある。竹中信常民は『選択集に聞く』の中で、この章が他の諸車にくらべて「大部分が善導大師観経疏散善義よりの引文そのままであること」を指摘し、それについて次のような考え方を示している。

 このことは、法然上人がいかに善導大師の説くところに傾倒しておられるかを物語るとともに、この三心論が浄土の教えにとってすこぶる重要なものであるゆえ、なるべく原意をそこねぬため、かつまた、その原文がきわめて明快であるため、あえて私釈をひかえられたのではなかろうか。

氏はさらに、三心章の重要性についてこう言う。

 浄土信仰の念仏が本願称名の念仏であることはいうまでもないが、それはただ形だけ、外面だけ仏の名号をとなえるというものではなく、それが阿弥陀仏の本願の意趣に添うためには、決定的な条件が必要とされる。それはうわべのことではなく、内面の心理的な条件なのである。つまり念仏をするものの心に三心がそなわっているか、いないかによって、浄土教の念仏か、それ以外の念仏かになるのである。(d)

 三心の問題は、実に善導大師以来、いや観経など浄土三部経以来の浄土教の中心課題のひとつなのである。
  『数行信証・信巻』は、親鸞が「『選択集』の骨目とも云うべき三心章の真意を発揮せんがために」(e)著したものであると言われている。この論では、私は、主にこの『信巻』に拠って、親鸞に於ける三心の意義を、現代的な視点から考察していきたい。そのことを通して、「念佛まうさんとおもひたつこころ」の内実を思想的に解明したいと考えるのである。

(a)『歎異抄』金子大栄校訂岩波文庫三六頁
(b)『選択集に聞く』竹中信常著「八七頁
(c)同書一八八頁
(d)同書一八八頁
(e)『数行信証講義』山辺習学・赤沼智善著 五四頁

(1)至誠心

 親鸞は「悪」名高き読み替え屋である。中でも特に有名なのが、至誠心についての善導の文の読み替えである。すなわち、通常の文法に従うならば、

欲明一切衆生身口意業所修解行必須真実心中作。不得外現賢善精進之相内懐虚仮。

一切衆生の身・口・意業に修するところの解行、かならず真実心のなかになすべきことを明かさんと欲す。外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を懐くことを得ざれ。(注1)

と読むべき文に彼は次のような訓点を打った。

欲明一切衆生身口意業所修解行必須真實心中作。不得外現賢善精進之相内懐虚假。(注2)(noteでの訓点の打ち方わかりません。)

一切衆生の身・口・意業の所修のもち解行、必ず真実心の中に作したまえるを須いることを明かおもさんと欲う。外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ。内に虚仮を懐けばなり。

あらゆる行は真実心のうちに為さねばならねという文を、あらゆる行は(如来が)真実心のうちに作されたものをもちいて為せと読み換えたのである。このことは親鸞の炯眼が、我々の志などというものは全く虚仮不実なものであること、一瞬のうちにも顛倒を免れないものであることを、見抜きつらぬいていたことを意味する。
  たとえば、ある人は恋愛の中へと入っていく時、「この人を真実に愛しつらぬこう」と決意し、相手にもまた自らに向かっても誓いをたてるかもしれない。そうして外相だけでなく、心の内側も利他的な愛の精神そのものでありたいと願うかもしれない。が、そのことは到底あたわない。

されど我は汝らに告ぐ、すべて色情を懐きて女を見るものは、既に心のうち姦淫したるなり。(注3)(マタイ・5−28)

イエス・キリストのこの言葉の光の下で、なおかつ「私は姦淫などしていない」と断言しうる者が、はたしてあるだろうか。むしろ「愛」などというのはただの口実で、私の内心は、相手を意のままにしたいという利己的な思いや執着ばかりではないのか。

  三浦綾子氏は『新約聖書入門』の中で、山上の垂訓について次のような感慨を述べている。

 なんとむずかしいことが説かれているのであろう。人間の弱いことをよくご存じのキリストが、なぜこんなむずかしいことを求められるのだろう。私はしばしば疑問に思ったものであった。いまだによくわからないが、これで足れりとして生きている傲慢な私たちに、自分自身の弱さに気づかせるために、キリストはこのように説かれたのであろうかと、思いもする。とにかく、人間の限界を、山上の垂訓においてあまりにも感じさせられることだけは確かである。(注4)

 親鸞の訓点の読み換えは、まさしくこの「人間の限界」との直面からの必然的な結果であったということができるであろう。
  さらに親鸞は言う。「私たちは外相を整えることすらできない。心の内が徹頭徹尾虚仮であるからである。」と。
  「真実でありたい」という願いを、未来の自分に向けて投射し続けている間は、私たちは、現に今ここにいる自己自身の身の真実に未だ遭遇しない。「いつかは真実になれる」という希望すらも断ちきられてしまうほどの徹底した自己省察だけが、自力の根を切るのである。「あるがままの自己」の受容である。
  現代の覚醒者のひとり、バグワン・シュリ・ラジニーシは『あなたが死ぬまでは』と題されたスーフィズムの講話の中でこう語った。

"幻滅"こそ門、この門を通ってこそ、はじめてあなたがたは変身できる。ものごとをその現実のとおりに見なさい。それがどんなに高くつくことであってもだ。もし、ものごとをあるがままに見たら自分の自我は粉々になると感じたら、粉々にされればいいではないか。自我がつぶされるのは早ければ早いほどいい。(注5)

親鸞の自己省察の在り方こそが、まさしくそれではなかったか。

 さて、ここでひとたび法然の至誠心観をふりかえってみたい。
先に『選択集』の三心章は殆ど善導からの引文そのままであると述べた。しかし実は、三心の中、この至誠心についてのみは、かなり詳しい私釈がつけくわえられているのである。

その中に至誠心とは、これ真実の心なり。その相、かの文の如し。ただし外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を懐くといふは、外は内に対するの辞なり。謂はく外相と内心と不調の意なり。即ちこれ外は智、内は愚なり。賢といふは愚に対するの言なり。謂はく外はこれ賢、内は即ち愚なり。
善とは悪に対するの辞なり。謂はく外はこれ善、内は即ち悪なり。精進は懈怠に対するの言なり。謂はく外には精進の相を示し、内は即ち懈怠の心を懐くなり。(注6)

 ここで法然は執拗に一字→句を分析してみせている。自らの外と内の矛盾という事実をただ抽象的に思惟するだけではなく、賢と愚、善と悪、精進と懈怠というひとつひとつの相の上に、具体的に確認していく。この確認は是非とも具体的なものである必要があったのである。さもなければ、またしても逃げ道が開かれてしまうであろうから。
  もしそれ外を醗じて内に蓄へば、誠に出要に備ふべし。(注7)
「外に示しているごとく、内もまた賢こぐ善良であれ、そうなれば出離の道にかなうであろう」−−−なまなましい自己矛盾の姿をまざまざと示しておいた後で、法然はそう宣言する。しかし、そんなことがこの私たちに可能であろうか。私たちは心の内において姦淫せず、一片の悪意も持たぬことなど可能であろうか。姦淫する者、悪意を持つ者こそ、私たちではないのか。
 このような問いの下に行き詰まっていく私たちを、法然は次に側から照らしはじめる。

内に虚仮を懐く等とは、内は外に対するの辞なり。謂はく内心と外相と不調の意なり。即ちこれ内は虚、外は実なり。
虚は実に対するの言なり。謂はく内は虚、外は実なるものなり。仮は真に対するの辞なり。謂はく内は仮、外は真なり。もしそれ内を翻じて外に播さば、また出要に足んぬべし。(注8)

 法然はここでもうひとつの道を告げ知らせてくれているのである。「もしも内側の虚仮不実であることをそのまま外にも現わすことができたなら、これもまた出離の道にかなうであろう」と。
  法然の論旨は非常に明確である。至誠心とは、内と外とが一致した心の状態、分裂していないひとつにまとまった心の状態をいうのである。

  キリスト者である谷口隆之助氏は『生きることの探究』という書物の序論で、「抑圧」や「神経症」等の心理学的用語を使いながら、現代人の苦悩とその克服への道について次のように述べている。

 もともと「抑圧(repression)」とは自己自の現実を見まいとする無意識の心理的逃避機制なのであり、それゆえに抑圧とは自己自身からの逃避にほかならないのである。抑圧によって葛藤は無意識層に押しこめられ、そのことによって葛藤とそれに伴う苦悩とは意識の表面からは姿を消すのであるが、しかし、抑圧によって葛藤それ自体は決して解消されるのではなく、それはなお意識されないままにそのひとのうちに生き続けているのである。そして、この意識されないままに生き続けている葛藤がそのひとの意識を通らずに表面にあらわれてくるのが、神経症におけるさまざまの症状にほかならないのである。本人にとってはまったく理由のわからない、しかも強迫的に生じてくる罪悪感や不安感など、すべてそのことをもの語っているのである。
 (中略)
それゆえに神経症の克服は、そのひとがもう一度そのひと自身の現実に直面し、その生きることの苦悩をもう一度はっきりと引きうけなおして生きること以外にはないのである。生きるということは、つねに目覚めた、自己自身への誠実なかかわりにほかならないのである。言いかえれば、生きるということは、その根本において、決して単になにになろうかとすることでもなく、またさらになにをしようかとすることでもなく、つねに自己自身として生きようとすることなのである。(注9)

法然は三心章を結ぶにあたって

この三心は惣じてこれを言へば、もろもろの行法に通ず、(注10)

と述べている。三心は念仏者だけでなく、全ての行者に通じるものであることを言っているのである。まさしくその言葉どおり、ここでの谷口氏の言葉は、道を求める全ての人間にとっての「至誠心」の持つ意義を語ったものと言えよう。殊更に浄土教の用語を使わずとも、たとえば心理療法の用語を駆使することによっても、このことが表現できるという事実には、とても意義深いものがある。このことは、宗教的真実というものが、世界の諸宗教の用語体系の相違を超えて、普遍的なものであることを物語ってくれているからである。
 私が本稿で解明しようとしている「念仏もうさんとおもいたつこころ」の内実も、実は全ての真実な歩みの道に共通の、しかも最も重大な要となる「こころ」の風光をさし示すものと、考えている。
  ところで、谷口氏が「自己自身として生きる」と名づけた生き方は、けして自己中心的なエゴイスティックな生き方を指すものではない。別の本(『聖書の人生論』)に於いて谷口氏は、同じことについて次のような言い方で書いている。

 ひとは、人間としての本来的な不安を回避するとき、かならず非本来的な不安のとりこになるのであり、逆に、人間としての本来的な不安を引き受け、その不安に堪えその不安を学ぶとき、ひとははじめて非本来的な不安のすべてを清算しうるのである。言いかえれば、わたしたちが自分の存在の究極の現実に目を開き、そこに生じる不安をまともに引き受け、自分の存在の究極の現実にそのまま身をあけ渡し、身を委ねるとき、そこで思いもかけず、かえって一切の不毛な思い患いは影をひそめ、贈られているいのちそのものに身を委ねて生きるかろみとやすらぎとを、わたしたちははじめて体験しうるのである。

 すなわち、ここには、自己自身の現実との直面をとおして、その自己を支え生かしめている根底へと回帰していくという姿が窺えるのである。
  しかしそのような意味で「自己自身として生きる」ことは、なんと困難なことであろうか。
  私たちの「自己」はどうしょうもなく分裂してしまっている。
 私たちはどうしても自分自身のありのままのありざまを見ることができず、逃げ出してしまう。道を歩めば歩むほど、その事実は重くのしかかってくるばかりである。私たちにとっては「外を翻じて内に蓄ふ」ことも「内を翻じて外に播す」こともおそろしく困難である。
 「二つの世界」はなかなかに一致しない。そのような我々のあさましい姿を親鸞は、「愚禿紗」の巻頭に次のように述懐したのである。

賢者の信を聞きて、愚禿が心を顕す。
賢者の信は、内は賢にして外は愚なり。
愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり。(注11)

山辺習学・赤沼智善著『数行信証講義』にはこの文について次のように述べられている。

教の上から云えば、真実の心になって、道を求めよ、虚仮不実であってはならぬ、というは当然のことである。然るにわが聖人は、真実心を起こそうとしては駄目である。ただ如来の廻向を須いよと云われた。一見、奇矯のようであるが、「真実心になれ」という教えを深く味わわれた最後の声である。
 真実心になれという教えを聞いて、真実心になったと思うている人は、未だ真に教えを聞かぬ人である。内省の足らぬ人である。即ち真に此の教えを聞く人は軽々しく真実心になったと自惚れずして、反対に、自己の本性の陰忍と、執拗と、悪毒に驚くのである。この本性を自覚した所が、法然聖人の所謂内愚外愚の自覚である。
  これが即ち如来の至誠心である。わが聖人は、師聖人の美わしい内愚外愚の自覚の相を見て、更に御自身の悪性に驚かれ、「賢者の信は、内は賢にして、外は愚也。愚禿が心は、内は愚にして、外は賢也。」と深く機想を到って、懺悔せられた。(注12)

 さて、ここで親鸞の徹底的な懺悔道へと至る過程を、段階を追って整理してみることにしたい。
  まず、出発点としては、内も外も共に賢であることを心がけるのが至当である。そのための仏道であり、修行であるのだから。ところが、道を歩めば歩むほど、この「内賢外賢」の立場は、到底実現しえざるものであることが明らかになってくる。
 そこで現れるのが、法然の言う「もし内を翻じて外に播さば、また出要に足んぬべし」という「内患外愚」の立場である。けっして心の底から「賢」であることのできない自分の姿を偽らないこと−−そうであるほかない自分をはっきりと見、人にもそれを知らしめること。そのことによってもまた出離の道にかなうというのである。
 しかし親鸞はさらにこの「内患外患」の立場にさえ徹しきれない己を「内愚外賢」と告白したのである。
「私は、自分が本当に愚かであることをどうしても認めきれず、いつも外側を飾らずにはおれない。」と。
  この三段階は、私には「何ごとかを為しとげよう」とする立場から「今ここに醒めてある」立場への徹底的な移行の過程として映じてくる。ついに親鸞は、何も為しはしない。ただ、何も為しえないことを知った。何も為しえない自己を見た。端的に、今ここにある自己の現実を見たのである。その瞬間に全ては終わっている。親鸞という一個の人間は死んで、早くも如来が生きはじめている。
  この「為しとげようとする立場、変革しようとする立場」から「見る立場、あるがままの自己に醒めてある立場」への徹底的な移行こそが、「至誠心」という言葉の持つ意味ではないか……。私がこのように考えるようになったのは、バグワン・シュリ・ラジニーシの次のような「一見散漫で何げない言葉の示唆によるものだった。

私がお前にはっきりさせようとしているのはIi正直になれということだ。そうすれば、もう何も問題はない。
正直な人間にはそれ以上問題などない。
私は正直な人間は絶対に不正直にならないと言っているんじゃない。
私の言っているのは、もし正直な人間が不正直をしているとしたら、彼は自分が不正直になりたいというのを承知しているということなのだ。
すっきりしている!それが正直というものだ。
私の言っていることがわかるかな? 
(中略)
とにかく真実でいようとしてごらん。
そして、私がこういうこと−「真実でいようとしろ。」−というようなことを言っても、それは嘘をつくなという意味ではない。
そんなことを言っているのではない。
私が言っているのは、もし嘘をつきたかったらつくがいい。
ただし真実でいろということなのだ。
はっきりと、自分が嘘をついているということを承知するがいい。
もしお前がそれだけクリアーになれば、ものごとは変わりはじめるだろう。まさにその覚醒こそ変容なのだ。(注13)

 ラジニーシの言葉は、幾分禅的な響きを持っている。彼は、「人間の側の醒めてあろうとする意識」が、実は「大いなる覚醒」と連なるものであることに留意しているのである。
 しかし、親鸞の文脈に即して言うならば、変容をもたらす覚醒とは、如来の目に照射されることを意味することになるだろう。至誠心とはつまり、如来の目に照射されていることであるといえよう。
 では、私がそう言う場合の「如来の目」とはいったい何なのか。

  竹中信常民は先の『選択集に聞く』の中で自らが「浄土教心理学の大成をひそかに念願している」(注14)者であることを告白し、三心に対してユング心理学の立場から光をあてて考察している。
 私は、そこに、現代の私たちが三心を理解するための鍵が隠されているように思った。

 こうしたユングの深層心理学の概容をふまえて、三心をながめなおしてみよう。すると、ただちに気づくことは、三心のうちの至誠心にしても、深心にしても、それがすでに通常の意識ではないということである。
 われわれは普通の意識においては、ああしたいとか、こうしたいとか、そう思うとか、こう感じるとかいう。これは仏教の唯識論でいうところの「心所」すなわち心が作用することであって「心」そのものではない。
 ところが至誠心は、くりかえしいわれるごとく真実心であり、まこごろであり、ウラオモテのないこころである。いわばそれは純粋意識であるから、ああしたいとか、こう思うとかいった、時間と場所、とくにひとによって条件づけられるものではない。こうとか、ああとかいうことをすべてつつみこんで、そう思い、こう感ずる「心」そのものなのである。
 個人個人の、その時その時心のなかにおこる波ではなしに、波の本体である水そのものなのであり、したがってそれはすべてのひとに通ずるし、いつ、いかなるときも同じなのである。不動であり、寂静であり、不変なもの、いわば通常の心の状態の底によこたわる真実な人間の心(ヒューマン・マインド)なのである。

ここでの竹中氏の叙述は、今「如来の目」と呼ぼうとしたものを、現代的な用語で言い表そうとしたものであるといえるであろう。
 ただし、「ヒューマン・マインド」という言葉は、私にはひっかかる。むしろ私はそれを、いっさいの生命と存在の底によこたわる「宇宙のこころ」であると言わねばならないと思う。なぜなら、私の思考・感情・身体と、他の全てのいのちや物質とが、わけへだてのないひとつらなりの存在として、同じひとつの「こころ」に照らされてあるのが、この宇宙の成り立ちであるからである。 
 この「寂静のこころ」は、浄土教的にいえば、如来の心であると言わねばなるまい。しかし禅的に言えば、我々の本性そのものである。言い換えるならば、自我の立場から見る時、それは彼方から来たるものである。そして自我を見すえる目そのものの立場から言えば、それは私の根源的意識、私そのものなのである。
 しかしたとえこう言ったからといって、禅者は「私は自我を完全に滅却した」と主張しているわけではあるまいと私には思える。ただ、自我をありのままに見つめる観照性に目覚めたというだけのことではないだろうか。
 浄土教者のしばしば指摘するように、もちろん自我は、生命のある限り続くであろう。だが、もはや全ての煩悩は来ては去りゆく雲のようなものであることが了解されているのである。
 背景の空、けして汚されず、何ものにも染まらない青空が、本当の『私』であり、如来の目である。私の根源であり、同時に彼方から来たるものであるところの"至誠心"である。
  親鸞は「必ず真実心の中に作したまえるを須いよ」と訓読することによって、真実心がけっして通常我々が「心」と呼んでいるものの中には根拠を持たないものであることを明らかにした。だが、現代人である私たちは、「如来の真実心を須いよ」という考え方を文字どおり受けとろうとする時、たちまちにして得体の知れない「如来」という言葉にとまどってしまう。いったい何のことなのか。いったいどうやって如来の真実心を須いたらよいのか。
  だが、それを「ああ思い、こう思う表面的な意識によって『頭燃を灸うがごとく』道を行こうとするのではなく、より根源的な純粋な覚醒の方へ身をゆだねていきなさい」と読み換える時、我々にもおぼろげながら、その意味するところが見えてくるのではないか。
  そしてその具体的な道筋は、次の深心の教説に於いて、より明らかにされていくのである。

朝が来る
昼−−
そして夕暮れ−−−
それはみな去って行くものだ
夜が来て、ふたたび朝が来る
が、あなたはとどまる
それもあなたが考えるようなあなたとしてではなく−−−
なぜなら、それもひとつの思いだからだそうではなく、純  
粋な覚醒としてのあなた
あなたの名前でもない
なぜなら、それもひとつの思考にすぎないからだ
あなたの姿でもない
なぜなら、それもひとつの思考にすぎないからだ
あなたというからだでもない
なぜなら、いっかあなたは
それもまたひとつの思考であるとに気づくだろうからlI
そうでない、ただ純粋な覚醒
どんな名前も
どんな形も持たないただの純粋性
ただの無形性と無名性
ただ醒めてあるという、まさにその現象そのもの
ただそれだけが踏みとどまる(16)

(注1)日本思想大系『法然・一遍』一二一頁
(注2)定本『親鸞聖人全集』一〇二頁
(注3)『旧新約聖書』日本聖書協会新約聖書八頁
(注4)『新約聖書入門』三浦綾子著五九頁〜六〇頁
(注5)『あなたが死ぬまでは』二二頁〜二二九頁バグワン・シュリ・ラジニーシ講話マ・アナンド・ナルタン訳
(注6)日本思想大系『法然・=遍』一三二頁
(注7)同書一三二頁
(注8)同書一三二頁〜一三三頁
(注9)『生きることの探究西欧思想史におけるその展開』二頁〜三頁谷口隆之助・津田淳編著
(注10)日本思想大系『法然・一遍』二二一二頁
(注11)『真宗聖典』四二三頁
(注12)『数行信証講義』六〇二頁
(注13)『生命の歓喜』三八五頁バグワン・シュリ・ラジニーシ対話録スワミ・プレム・プラブッダ訳
(注14)『選択集に聞く』一八七頁
(注15)『存在の詩』バグワン・シュリ・ラジニーシ講話八四頁〜八五頁スワミ・プレム・プラブッダ訳

(2)深心

 前章の終わりに掲げたバグワン・シュリ・ラジニーシの言葉は、彼の話し言葉であるが、殆ど詩句のように美.しい。ここには「覚醒」の究極的な在りようが、端的に表現されて余すところがない。しかし、その完壁な美しさは、私たちに具体的な道ゆきを明らかにせず、ただひとり輝いて在ると言わねばならないかもしれない。
  古今東西の聖典はすべて、「ただひとつの大いなる意識」について語っている。インドの伝統では、それは「サッチタナンダ=真実・意識・至福がひとつとなった言葉」の名で呼ばれる。
 存在は、ただひとつの大いなる覚醒と、その覚醒の戯れとしてのイリュージョン(この宇宙の全ての現象)であるというのである。
 しかし、そのイリュージョンに自己同化し、いつ始まつたとも知れぬ永劫の過去からの深い業を負って、現に今ここに生きている私たちにとって、その真実への具体的な道筋はあるのだろうか。
  私は、それが三心の第二、深心であると考えるのである。

「二者深心」。「深心」と言うは、すなわちこれ深信の心なり。また二種あり。一つには決定して深く、「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来、常に没し常に流転して、出離の縁あることなし」と信ず。二つには決定して深く、「かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を接受して、疑いなく慮りなくかの願力に乗じて定んで往生を得」と信ず・・・・・(注1)

 この引文中に説かれてあるのは、いわゆる二種深信の教説である。今、しばらくこれについて、やはり現代的な光をあてて解明していきたい。
  まず「一つには……」と言われている部分、機の深信である。
ところで私はいつもこの信という字に引掛る。信という言葉は、現代の私たちには多くの抵抗感を引き起こす。
 「信」という字は、ありもしないものを「信じこむ」というニュアンスを帯びてしか入ってこない。ところがここに言われている機の深信とは、「真に自己の何者たるかを自覚する」ことである。

 宗教の第一歩は、実にこの自己を知ると云うことである。真に自己の何者たるかを自覚する所に、真の信仰が生れてくるのである。吾々は、ややもすれば、自己に徹底することを忘れて、如来を信じ、往生を願わんとする。此時は、単に平安を得たい、力を得たい、落着場が得たい、という欲だけが先に立ちて、本願の御目的である所の自分の本性は、心の奥に隠れておる。それであるから、いつ迄たっても本願の謂れを知ることは出来ぬ。吾々は初めに、外に向いて如来を求めた心を、内に向けねばならぬ。(注2)

 しかし、それならば何故、「知」とは言わずに「信」の字を使うのであろうか。その点について私は次のように考えている。
  通常の意味での「知」は、「私」を固く守りぬいたまま対象を見ることによって成立しうる。しかし、真に自己を知ることは、同じようなやり方によっては不可能である。
 至誠心の所に於いても考察したように、ありのままの自己を知ることは非常に困難な、恐ろしいことである。自らが基盤とし、恃んでいた自我が粉々になっていくのを予感するからである。従って、真に自己を知るには、私たちは勇気を持って飛びこまなくてはならない。その飛びこみには絶大な信頼が必要である。未知なるものを知る用意が必要である。未知なるものへの勇気と共に獲得される「知」−−これこそが、信ではあるまいか。
  まさしくこの意味で、機の深信と法の深信はひとつであると言わねばならない。自我が粉々になってゆくのを許すには、どうしてもその背後に、自我以上のもの、私を支え生かしめていた根源的なるものへの信頼を必要とする。その信頼が法の深信ではあるまいか。
  このように考える時、二種深信の教説は、至誠心の発動の具体的な在り方を示しているということができる。
 至誠心とは、ものごとをありのままに見る、分け隔てなくそのままに見る純粋な覚醒のことであった。それが如来の心である。親鸞はその如来の真実心を須いよ、と言う。ところが、今、深い業の中にあり、恐れおののきながら自我に執着して生きている私たちにとって、それは、二種深信という形をとって具体化するほかないのである。
  「自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来、常に没し常に流転して、出離の縁あることなし」というような認識は、通常の我々の意識によっては不可能である。この認識はむしろ通常の意識を焼き尽さんとする炎のごときものである。
 我々はどのように真実に自らを見つめようと努力しても、到底自我によって自我を見つめ尽すことは能わない。はっきりと自我を見つめつくす(機の深信)時には、同時に真実なる働きを一心に信じ、自らを明けわたす(法の深信)がなければならない。
  この二種深信の発動するぎりぎりの地点は、深い業の中にある私たちが、その業の深さの故に、真実なる意識に目覚める不可思議なる一点である。業の中にありながら、業を超えたものと交わるのである。実は、ここに「念仏もうさんとおもいたつこころ」が発しているのである。
 言い換えるならば、私たちはこの「念仏もうさんとおもいたつこころ」によってのみ(用語へ体系は異っても、同じ「こころ」の内実によってのみ)業を超えたものと交わっているのである。
  このことは後に二河譬の示すものを論じる中で、さらに明らかにしていきたい。

(注1)『真宗聖典』一=五頁〜二一六頁
(注2)『教行信証講義』六一二頁

(3)廻向発願心

「三者廻向発願心」。乃至また廻向発願して生ずる者は、必ず決定して、真実心の中に回向したまえる願を須いて得生の想を作せ。(注1)

ここでもまた親鸞は、通常

必ずすべからく決定して真実心中に廻向し、願じて、得生の想いをなすべし

と読むべき引文を読み換えている。「得生の想い」とは、「浄土に往生を遂げたい」という想いであるが、今、自我の立場からは、それは「死」を意味する。『歎異抄』第九条にも

久遠劫よりいままで流転せる苦悩の奮里はすてがたく、いまだむまれざる安養の浄土はこひしからずさふらふこと、まことによくよく煩悩の興盛にさふらふにこそ。(注2)

とあるように、自我はどんなに苦しくとも、けっして自らへの執着をやめようとしないものであるといわねばならない。

  私は、自らの瞑想体験の中で、突然「自分が自分の命を握りしめている」ことに気がついたことがあった。瞑想中に一種の臨死状態のようになったので、「死にたくない」という恐怖が圧倒的な勢いで私を襲い、私は自分の命を必死の思いで握りしめたのである。
 しかし、一方で私はこの「自分の命を握りしめている手」を放してしまえば、どんなに解放され、自由になることか直感していた。この手を放しても私は自由になるだけで肉体は死なないのかもしれない、もしかするとそれが「解脱」なのではないか、とも考えた。だが、私はその手を放すことはできなかった。何がなくてもいい、悟れなくても、往生できなくても、誰ひとり幸せにならなくてもいい。とにかく自分は今、生きていたいんだ、と鬼のようにそう思った。
  瞑想から覚めてから「ああこれが、はじめのない過去から、生まれては死に、死んでは生まれながら、自分が続けてきたことなんだな。」と考えた。こうして生命を握りしめているから何度でも死に、何度でも生まれてくる。その業の深さは、到底一生限りのものではなく、はかりしれない過去から続いているのだと感じた。そして、こうやって命の根っ子のところを恐ろしいほどの我執で握りしめている限り、未来永劫、業は続いていくに違いないと思えた。
  「得生の想い」は、到底、私たちの自我の中に生じるものではない。が、また如来の真実心は、そのままでは、生きて業にまみれた私たちとは無関係は寂静なる無限の覚醒であるばかりであろう。
 如来の真実心が、業の中にある、苦悩する私たちに廻向されてくる時、そこに「得生の想い」が生ずる。これが「廻向発願心」と呼ばれるものであろう。

(注1)『真宗聖典』 一二八頁
(注2)『歎異抄』金子大栄校訂 四六頁〜四七頁

(4)二河譬の示すもの

 次に善導は、有名な二河譬を掲げている。しかるに、その冒頭にこう記されていることに最も注目したのが親鸞であった。

また一切往生人等に白さく、今更に行者のために、一つの譬喩を説きて信心を守護して、もって外邪異見の難を防がん。(注1)

観経疏に於ける文の配列をそのまま見るならば、この二河譬は、廻向発願心のための譬喩でなければならない。しかし親鸞は、この「守護信心」の語に注目し、『高僧和讃』には

善導大師証をこい
定散二心をひるがえし
貧頗二河の譬喩をとき
弘願の信心守護せしむ(注2)

と歌った。親鸞においては、この譬喩は信心の譬喩であったのである。
  信巻を繰っていくならば、やがて三一問答にぶつかる。

 問う。如来の本願、すでに至心・信楽・欲生の誓いを発したまえり。何をもってのゆえに論主「一心」と言うや。答う。愚鈍の衆生、解了易からしめんがために、弥陀如来、三心を発したまうといえども、涅槃の真因はただ信心をもつせてす。このゆえに論主、三を合して一と為るか。(注3)

 ここで親鸞ははっきりと「涅槃の真因はただ信心をもってす」ゆえんと喝破した。親鸞浄土真宗の信心為本と呼ばれる所以である。
 しかしなぜ、親鸞はこれほどまでに信心を重視したのであろうか。そこに私は、業の中にある私たちにとっての、涅槃への具体的な道筋を明らかにしょうとした親鸞の宗教精神の根本を見るのである。
 すなわち、至誠心は究極の覚醒を語って余すところないが、私たちとの接点が明らかでない。廻向発願心は、如来から廻向された真実心を既に語っているが、いかにしてその「こころ」が発したのか、その一点を明らかにするには、実に信心の具体的内実を明らかにするしかないのである。
  そして今、その信心の具体的な在り様を最も生々しく物語っているものこそ、実はこの二河譬なのではあるまいか。

この河、南北辺畔を見ず、中間に一つの白道を見る、きわめてこれ狭小なり。二つの岸、あい去ること近しといえども、何に由ってか行くべき。今日定んで死せんこと疑わず。
正しく到り回らんと欲すれば、群賊悪獣漸漸に来り逼む。
正しく南北に選り走らんと欲すれば、悪獣毒虫競い来りて我に向かう。
正しく西に向かいて道を尋ねて去かんと欲すれば、また恐らくはこの水火の二河に堕せんことを。(注4)

 また自らの瞑想体験で恐縮だが、ある日の瞑想中、私は、私のせいで自殺したのではないかと思える或る女性のことを思いだしていた。地獄のような責苦がやってきた。もしかしたらこの苦しみは永遠に続くのではないか、という恐怖が私を襲った。
 しかし、何とかして救われたい。と、私はふと、私の陥っていた地獄にいくつかのささやかな花が咲いていることに気がついたのである。「ああ、花が咲いていてくれた、もうこれで充分だ。」私の目からひとりでに涙がこぼれ落ちていた。たとえここが地獄の真中でも、こうしていくつかの花が咲いてさえいてくれるならば、ずっとここにいることもできる……とむせび泣いた。と、なぜ、ここに花が咲いているのかが、わかってきた。
 それは私自身が忘れていたような理由によってであった。私は忘れていたのだが、私も時に、本当によかれ」と思って人にやさしくしたり、つくしたりしたことがあったのだ。その分だけ、ここに花が咲いていたのだ。
 
 だが次の瞬間には、再びもっと酷い地獄が現われた。私が「自分の功徳で花が咲いていたんだ」と考え、花を自分のものにしようとした刹那、花は牙をむいて私に噛みついたのである。

 瞑想から覚めた私は、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を思い起こした。たった一度だけ蜘蛛を助けた功徳で、地獄に垂れてきた糸を上っていた腱陀多は、後から上ってくる者達に「下りろ。下りろ。」と喚いたとたん、糸が切れて、再び地獄へ転落してしまう。単純な寓話だと思っていたが、一刹那の内にも傾倒する我々の本性、業の深さを、恐ろしいまでに描いた作品だったりのりのだと思い直した。
 それはまさしく、一刹那の内にもなのであって、我々の意志とか善心とかいうものによって、まにあうようなものではない。
  考えてみれば、私が時に誰かにやさしくしたのは、けっして自らの計らいではなかったのであった。何故かはわからぬけれども、如来の心が私の中に廻向されて来て、そういう働きをしたのである。私のしたことと言えば、それを「私の心」だと執着して染汚することだけであった。そしてこの瞑想中、二度と再び、私は業の中にある自分の力で、業を超えた無心の行為に帰ることなどできなかったのである。

  こうして私が直面せざるをえなかったのは、自分の力で何とかしょうというどんな試みによっても地獄を抜けだすことなどできないのだ、という事実の動かし難さであった。だからといってまた、全ての試みをやめてしまおうとすることによっても地獄を抜け出すことなどできないのであった。
 しかも地獄は、寸分の狂いもなく、まさしく私の業そのものとして現れてきており、どんな言い訳も無用であった。
 しかし、それでも救われたい。

 すなわち自ら思念すらく、「我今回らばまた死せん、去かばまた死せん。一種として死を勉れざれば、我寧くこの道を尋ねて前に向こうて去かん。すでにこの道あり。必ず度すなべし」と。この念を作す時、東の岸にたちまちに人の勧むきみたずる声を聞く。「仁君ただ決定してこの道を尋ねていけ、必とどず死の難なけん。もし住まらばすなわち死せん」と。また西の岸の上に人ありて喚うて言わく、「汝一心に正念して直ちに来れ、我よく汝を護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ」と。

 これが「念仏もうさんとおもいたつこころ」の風光である。始まりのない過去から、生まれては死に、死んでは生まれながら、それでも生命の根っ子にしがみついて流転しつづげる己の姿がまざまざと見え、今またそんな自分の力で迷いを抜けようとする限り、けっしてどんな救いもないこともまたまざまざと見える時。その見ている自分を結束点として、実は、業の中にある自己と業を超えた如来のこころとが不可思議にも接している。
 その幽かな接触点の故に、わずか四五寸の白道が業の彼方に続いているのが見える。見えるかと思うと消える。しかしまたそこには、釈迦弥陀二尊の発遣招喚の声が聞こえる。この時、人は、深い業の中にあるからこそ、すべての業を超えたこころの呼びかけにひたすら信順し、自らの力で何とかしょうという試みの全てを解き放って「念仏もうす」のである。

「彌陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念佛まうさんとおもひたつこ」ろのをこるとき、すなはち撮取不捨の利益にあづけしめたまふなり。

 そしてまさしくその瞬間、私たちは摂取不捨の利益に迎えいれられるのである。すなわち生と死を超えて、全ての光り輝くいのちに連なるのである。そしてそのひとつらなりのいのちの中で、自らの為すべきことを、生き生きと為し始めるに違いない。

(注1)『真宗聖典』 二一九頁
(注2)『真宗聖典』 四九五頁
(注3)『真宗聖典』 二二三頁
(注4)『真宗聖典』 二一九頁

おわりに

 根源的な自己覚醒の道は、世界各地に様々な形で見られる。
 根本的には、私たちは、ただ無条件に、存在=宇宙を信頼し、今ここに醒めて在ればそれで充分なのであろうが、実際には何か、具体的な道を必要としている。

縁に随いて行を起こして、おのおの解脱を求めよ。(注1)

という。道は数多くあるが、縁ある道を一心に歩みつくすことが肝要であろう。本論では私は「自分の力ではどうすることもできないのだ」という視点を強調したが、そうであるからこそ、縁ある道を一心に歩みつくすことが肝要なのだと思う。
  そしてどの道を歩んでいるにせよ、その最も内奥の一点に於いて、「念仏もうさんとおもいたつこころ」が(あるいはそれと同じ内実をもつこころが)念々刻々必要とされているといわねばならない。
 自我をありのままに見ることによる、自我の死……そこにひとつの覚醒と、ひとつらなりの光り輝くいのちの総体が生きはじめる、ということが。

(注1)『真宗聖典』 二一八頁

主要資料文献・参考文献

定本『親鸞聖人全集』第一巻 法蔵館
『真宗聖典』東本願寺出版部
『歎異抄』金子大栄校訂岩波文庫
山辺習学・赤沼智善著『数行信証講義』信証の巻 法蔵館
日本思想体系『法然・=遍』岩波書店
竹中信常著『選択集に聞く』教育新潮社
その他の引用文献

芥川龍之介著『蜘蛛の糸・杜子春』新潮文庫
『旧新約聖書』日本聖書協会
三浦綾子著『新約聖書入門』光文社
バグワン・シュリ・ラジニーシ講話『あなたが死ぬまでは』マ・アナンド・ナルタン訳ふみくら書房
谷口隆之助・津田淳編著『生きることの探究−−西欧思想史におけるその展開』川島書店
谷口隆之助著『聖書の人生論〜いのちの存在感覚〜』川島書店
バグワン・シュリ・ラジニーシ対話『生命の歓喜』スワミ・プレム・プラブッダ訳ラジニーシ・パブリケーション・ジャパン
バグワン・シュリ・ラジニーシ講話『存在の詩』スワミ・プレム・プラブッダ訳めるくまーる社

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