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循環経済と友愛のコミュニティ アイヌモシリ一万年祭

川沿いのレインボーカフェに行くには、車椅子の降りられない急坂を歩いて行く必要があった。
誰か彼かが手伝ってくれた。
屈強な男性が両脇を固めてくれたら、殆どどんな所でも行ける。
最低でも、空中を足で漕いでいるふりをしていれば、吊り下げられて運んでもらっている格好で進める。
しかし、できれば足を置く場所を定め、自分の脚力で歩きたい。
調子よくて疲れてなければ、両脇を固めてもらった上で自分で歩くことができた。
そんなふうにして、何度かレインボーカフェに足を運んだ。
ここの理念は、釜ヶ崎にあったが星野リゾートの圧迫で潰された「みんなのカフェ」にとても近い。
食べるものは、基本無料。
できる範囲でお金をドネーションしてもいいし、食材をドネーションしてもいいし、調理を始めてもいいし、人が始めた調理を手伝ってもいいし、その鍋にこれも入れましょうと提案してもいい。
究極的には何一つできなくても、存在しているだけでいい。
訪れるもの皆がそんな風にして食事にありつき、しかもドネーションで経済はちゃんとまわっているので、枯渇することはない。
我々、貧しい旅を続ける者たちにすらこれができるのだから、日本国にできないはずはない。
誰かが貯め込み、流れを塞き止めているから、循環経済が阻害され、友愛のコミュニティでありえたはずの潤沢の地が、競争と奪い合いの修羅と化しているのが、資本主義社会なのだ。
この循環と友愛のスピリットは、アイヌモシリ一万年祭全体に通底していたと言える。
しかし、最も具現していたのが、レインボーカフェと言える気がした。
これは新しい世代に強い潮流だと言えるかもしれない。
旧い世代は、これを片隅でやっているだけでは不十分で、社会全体がそのような原理で動くものに変革されていくべきだと考える。
ここに友愛のコミュニティを実現するグループと、だからこそそのコミュニティを最後の砦にして反撃し、世界を友愛のコミュニティで覆い尽くそうという社会変革の意志。
一方では最もやさしい内向きのコミューンであるものが、一方では社会を根源から、原理から変えてしまおうとする過激な闘いの最後の砦だということ。
このふたつの方向性の融合に、アイヌモシリ一万年祭のスピリットを見た。


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