食人華

(1)

 僕の鼻が敏感な性感帯になったのはママンのせいだ。僕が幼い頃、子ども布団の中で寝たふりをしていると、ママンは足音を忍ばせてやってきた。そしてそばに膝をつくと、僕の鼻の頭にキスをした。僕はくすぐったくて、笑いだしそうになるのを我慢して眠っているふりを続けた。ママンの鼻キスは夜毎、エスカレートしていった。絖った長い舌が鼻先を舐めると、僕はママンに食べられるような、あるいは秘密のトンネルからママンのお腹の中の海に還っていくような目眩に襲われた。
 ある日小学校の帰りに道端で蛇に飲み込まれかけている殿様蛙を見た。蛙は下半身を蛇の口に飲み込まれたままじっとしていた。もう逃げることは不可能だと観念しているその目はじっとこの世の最後の光景を見つめていた。僕にはその蛙の目が苦しそうには見えなかった。むしろ自分の体がもっと大きなものに呑み込まれて溶けて消えていくことに運命的な快感を覚えているように見えた。蛙の喉佛が動き続けていた。両の前足で地面を支え、威厳を保っている。緩慢なスピードで確実に蛙は蛇に呑み込まれていく。最後に顔だけが残った。蛙の眼に涙が光ったように見えたのは、幼い僕の感傷に過ぎなかったのかもしれない。鼻先だけが外気を必死で呼吸し、やがてそれも蛇の口の中に消えてしまうと、蛇は首のあたりを大きく膨らませて先の割れた舌を一度だけ出してひっこめた。
 苦しそうなのはむしろ蛇の方だった。子どもを産むのは苦しいと聞いたことがあったが、ひとつの存在を呑み込んで溶かすということも、苦しいことには違いない。
 小学校の体育館に僕らは集められ、性教育の映画を見せられた。飛蚊症のような線の入った古いフイルムに大きく開いた花が映し出され、雄蕊の花粉が雌蕊に受粉すると種が実りますとアナウンサーが語った。その声は体育館の暗がりの中で汗臭い床に低く響いた。
 それから様々な哺乳類の交尾が映し出された。馬の巨大なペニスが画面いっぱいに広がった。彼はそのまま牝馬の尻に乗り上げた。刺し貫かれた牝馬は胴体のほとんど全部を震わせてエクスタシーを表現していた。
 画面は一転して、蟻の巣の中の女王蟻が映った。白くてぶよぶよした肉塊はスクリーンいっぱいに広がると僕の十倍も大きかった。女王蟻は雄蟻を惹きつけるための匂いを発していますと、男性のアナウンサーがNHK乗りの声で淡々と語る。画面から匂いは発してこなかったが、女王蟻の表面には蜜のようなものが分泌し、絖っていた。やがてそこへ無数の小さな雄蟻が集(たか)ってきた。女王蟻の体によじ登り、蜜液のようなものにまみれて動けなくなり、苦しそうに六本の脚をじたばたさせている。これが蟻のセックスなのだと思うと、目を瞠った。映画の中で、たくさんの哺乳類のセックスを見ても反応しなかったポークピッツが、このときばかりは敏感に半ズボンの中でその位置を変えて、もぞもぞとパンツの隙間を求めた。
 続いては、蟷螂のセックスだった。セックスを終えた雄蟷螂の頭を雌蟷螂がまるごと齧りとった。雌は雄の体を食べ、養分として、卵を産むのですとアナウンサーは語る。そのことがわかっていながらにして、雄は雌とセックスするのだ。死ぬために性交するのだ。僕の全身を光の小波が走り抜けた。
 次に手をつないでいる男女が映った。ひそかに期待していた人間のセックスは映らなかった。
 その代わり、今度は寝台の上で脚を広げているお腹の大きな妊婦が映った。妊婦は汗を掻き、苦しそうに呻いた。やがて血まみれの頭が陰部から顔を出し、医者の手でズルズルと引き出された。臍の緒が切断された。赤ちゃんは産湯につけられ、タオルにくるまれた。
 毛先の乱れた毛筆で描いたらしい「愛」という大きな文字が画面に映り、画面は急に何も映さなくなって、カラカラと映写機の音だけがしばらく続いていた。
 
(2)

 世界で一番大きな花がラフレシアであるというのは嘘だ。食人華の動画が、YOUTUBEにUPされたのは、僕が二十歳のときだった。だがそれは三日後には「著作権の問題で」削除された。誰の著作権に誰が抵触したというのであろうか。
 それはアマゾンの奥地に棲息する人間の身の丈よりも大きな花だ。花の外見は人間の女性の陰部にそっくりである。花は太い樹木の、幹のような部分を裂くようにして咲いていた。その一番外側には女性の大陰唇に似た襞があった。解説を担当する欧米人の学者が、マジックハンドのようなもので遠方からそれを開いてみせる。欧米人はポルトガル語らしきものを話していた。画面の下側に日本人の付けた字幕がついていた。それはなぜか、古い映画のような手書きの文字であった。
 「これ以上近づくと危ないのでこの孫の手を使って開きます」学者はそう言っているらしかった。
 大陰唇のようなそこを開くとてらてらと光っているピンクの肉塊が見えた。とても柔らかそうで、セックスを覚えたばかりの僕がいつも舐めている彼女のその部分を連想せずにはいられなかった。この動画は、著作権の問題によってではなく、その猥褻さによって弾圧されたのではないか。だがそれは飽くまでも花なのだ。
 僕は食人華について、ネットで調べられるだけのことを調べた。情報は限られていて、しかもスペイン語とポルトガル語のものが多かった。それでもアマゾンの部族の言葉で解説されるよりはましである。
 僕はGOOGLE翻訳やその他の翻訳ソフトを使って、珍妙な日本語を切ったり貼ったりして、なんとかその意味を読み取ろうとした。それでも結局、僕にはその概要しか掴み取ることはできなかった。食人華とは、次のような花である。当時の僕の日記帳から書き写してみよう。
(一)アマゾン川周辺の密林の奥地に咲いている。
(二)樹木の太い幹に直接咲く。
(三)形状は人間の女性の陰部に似ている。(四)性フェロモンに似た芳香で動物や人間を誘う。
(五)時々部族の若者がその陰部の中に体ごと呑み込まれる。
(六)食人華の危険性を長老がいくら説いたところで、若者の犠牲は跡を絶たない。
(七)それどころ、時に自らの最後を悟った長老が、食人華に呑まれるという最後を迎えることがある。
(八)この食人華に呑まれる老人を見学することを、生と死を見つめる成人式としている部族もある。
(九)食人華の魅力は女性にも有効である。男性ほどではないが、女性も時々この花に呑み込まれる。
(十)だが、つまるところ、食人華は、アマゾンの密林に無数の種類が棲息する食肉花の一種に過ぎない。
 僕もいずれ死すべき身であるならば、いつかはこの食人華に呑まれて死にたいと考えた。そう考えると頭の芯が痺れた。だが、それがアマゾンのどこにあるのか、どうすればそこにたどり着けるのか、手がかりはなかった。
 一九歳の時から二年間同棲した恋人に僕は突然ふられてしまった。
 教育実習でしばらく郷里の街に戻っていた彼女は、京都に戻ってくると、「教育実習の指導の先生に恋をしたから別れる」と言い出したのだ。
 しかも、その先生は妻子持ちで、将来の約束も当てもないのだという。ただ、自分としては恋する気持ちは真実で、抑えることはできないのだという。一介の学生であった僕は社会人の大人の男に負けたのだと思った。
 二年間同棲し、共に時を刻んできた僕と彼女は二人の部屋で座ったまま抱き合って、泣いた。彼女も僕より激しいぐらい泣いていたが、決意は変わらなかった。
 しかし、その後、困ったことがひとつ起きた。彼女にふられて別れたあと、誰と試みても、いざとなると僕は萎えてしまうようになったのだ。簡単に言うとインポテンツだ。人間の性の繊細さを思い知った。
 男性の友人に相談すると「俺もそうだ」というやつと「そんなことはありえない。女が裸で股をおっぴろげればいつだってギンギンになる。それが男というものだろう」というやつが、ほぼ半々だった。
 若くして文学賞を手にした友人がいた。自身も小説の真似事を書いていた僕は、彼に一目置いていた。その彼が「そういうときは旅に出るのが一番いい。この広大な世界でひとりの女なんてものがなにほどのものか、よくわかる。旅に出ろ、旅に」と僕に薦めた。
 僕は格安航空券で太平洋を渡り、サンフランシスコに辿りついた。「地球の歩き方」に掲載されていた「サンフランシスコで一番安い宿」にチェックインした。
 日本人のむさ苦しい髭面の若者がワンサカ湧いてきて、新入りを歓迎した。彼らはここの部屋をマンスリーレンタルし、ヒッピーのような、フーテンのような、引きこもりのような、旅人のような、よくわからない生き方をしている連中だった。
 ケンと呼ばれている長老(といっても二〇代後半なのだが)が、僕に貴重な情報のつまった一枚のビラをコピーしてくれた。無料で食事を配給している救世軍活動をしている教会のリストだ。
 宿の仲間と午前十一時にセントアンソニー教会へ行くと、既に長蛇の列が出来ていた。そこには、鼻がひんまがりそうなほどの臭いを発する老若男女が並んでいた。僕らはその最後尾につけた。
 するとまもなく、道路の向こうからCDラジカセでレゲエを大音量で流しながら、スケートボードに乗った男が滑走してきた。そのまま通り過ぎるのかと思いきや、彼は僕らの後ろでぱっとスケボーから飛び降りるとそれを脇に挟み、そのまま列に並んでしまった。CDラジカセからは相変わらず大音量でレゲエが流れている。
 そんな、貧しいのか貧しくないのかもよくわからない若者を含め、やがてセントアンソニー教会はその地下の救世軍食堂に人々の群れを呑み込みはじめた。
 地下の食堂の配膳コーナーの端っこで、いくつもの仕切りに分かれたトレイをとった。それを台の上に置いて進んでいく。と、ビニールの手袋をはめた綺麗なお姉さんたちが、それぞれの仕切りに、肉や野菜やパンを置いてくれた。最後にはドーナッツやコーヒーまで付いた。
 空いているテーブルを見つけて座ると「サンフランシスコで三日、乞食をやるとやめられないとはこのことだよ」とケンは言った。「スマイル無料。食事も無料だ」とアキラも言った。その食事だが、殊のほか美味しかった。
 僕らは毎日、昼飯の教会、夕飯の教会に通った。昼間は一人で、ストリートミュージシャンの音楽を聴いたり、サンフランシスコ中を歩きまわった。チャイナタウン。ヒッピーの街として有名なヘイトストリート。ゴールデンゲートパーク。ゲイの街として有名なカストロストリート。その昔、ビートジェネレーションの詩人たちが、何度も朗読をしたというシティライトブックス。そこで、読めもしない英語の詩を何時間も凝視したりもした。
 ツインピークスという名の小高い丘に歩いて登り、サンフランシスコの街全体を見渡した。僕は自由の風を感じていた。もう古い恋人のことは忘れ、他の女性とだって睦びあえるという自信のようなものが湧いてきた。
 そんなある日、ケンの部屋で五,六名の仲間でビールを飲んでいるとき、ケンが言った。「食人華って知ってるか」
「知ってるよ。アマゾンの奥地に咲いているやつだろう」
 おっというような表情をして、ケンは僕の方に向き直ると、ヘイトストリートでヒッピー風の男にもらってきたというくしゃくしゃのチラシを開いて見せた。
 「限られた連中しか知らない情報らしいんだが、その食人華を見に行くツアーが開催されるらしいんだ」
 僕の瞳孔はきっと大きく広がっていたことと思う。
「しかも、いいか、驚くな。これは極秘中の極秘情報でチラシにも書いていないんだが、志願者を募るらしい」
「志願者?」
「そうだ。志願者は実際に食人華に呑み込まれる。ただし・・・もう戻って来られない」
 僕はごくりと喉仏を動かした。
「そのまま食人華の中で溶けて、一体化してしまうんだ」

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