超簡単訳 教行信証

この超簡単訳の仕事は続きをするか、迷っている。

先に、カモメのジョナサン風の寓話で、宇宙の構造が究極まで明らかにされる物語を書いて一発ベストセラーにしておきたいから。

でも、仕事の質が違うので、難しいことしているようで、逆にこっちが気晴らしになるかもしれない。

原文

顕浄土真実教行証文類 愚禿釈親鸞集

序 

竊以難思弘誓度難度海大船、無碍光明破無明闇恵日。然則浄邦縁熟調達闍世興逆害。浄業機彰釈迦韋提選安養。斯乃権化仁、斉救済苦悩群萌、世雄悲正欲恵逆謗闡提。故知円融至徳嘉号転悪成徳正智、難信金剛信楽除疑獲証真理也。爾者凡小易修真教、愚鈍易往捷径。大聖一代教無如是之徳海。捨穢欣浄、迷行惑信、心昏識寡、悪重障多、特仰如来発遣、必帰最勝直道専奉斯行、唯崇斯信。噫弘誓強縁、多生叵値真実浄信、億劫叵獲。遇獲行信、遠慶宿縁。若也此回覆蔽疑網、更復逕歴曠劫。誠哉、摂取不捨真言、超世希有正法、聞思莫遅慮。爰愚禿釈親鸞、慶哉、西蕃月支聖典、東夏日域師釈、難遇今得遇、難聞已得聞。敬信真宗教行証、特知如来恩徳深。斯以慶所聞、嘆所獲矣。

超簡単訳

題名「完全に解放された世界について、真実の教えと、宇宙の無限の願いを信じゆだねる道と、その証としての悟りを明らかにする文章をいろいろ集めたもの」 

著者 愚かな禿げである釈迦の弟子の端くれ親鸞が、集めて述べて私釈もいれたものですが、私親鸞の創作とは違いまっせ

はじめに

心の奥深くで、じっくりと考えてみれば、
限界のある私たちの考えでは、とうてい解き明かし得ない、宇宙の無限の願いは、
対称性の破れによって生じた時空のただ中から、
それを越えた世界に羽ばたかせてくれる巨大なUFOである。
何ものによってもさまたげられることのない光は、
この時空の構造の元になっている人間の脳の底の暗闇まで照らし出す、
大いなる智慧の太陽である。
その教えと道は宇宙のはじめから、
時空を生じると同時に約束されていたのだが、
やっとその縁が熟してきたのは
次のような状況の中である。

ダイバダッタは、釈迦に変わって権力を握ろうとしていた。その計画の中で彼は、アジャセ王に父のビンバシャラ王を殺すようにそそのかし、実行させた。
このような逆境の中で、自らはベストを尽くしていると思っていたイダイケさん(ビンバシャラ王の妻)。
だが、彼女は、自分は精一杯がんばっていると思っていたがために、実は根源的な解放を逃していたのである。
このとき初めて「自らの努力で根源的な解放をなしとげるのは不可能であると気づき、すべてを宇宙の働きにまかせる」という教えを伝える機会が、熟した。
この機を逃さず釈迦は、イダイケの前にヴィジョンとなって現れた。
そして自らの力をたのまず、宇宙の無限の働きにまかせる道を教えた。
これによってイダイケは安らぎと解放を得たのである。

これは菩薩が姿を変えてこの世に現れたのである。
すなわち、ダイバダッタもアジャセもイダイケも、人々に気づきを与えるために、このような大芝居を演じた菩薩なのである。
釈迦は、大罪を犯しとうてい救われるはずのない状態のものをこそ救うことを望んだのである。

このようなわけなので、
融通無碍な最高の徳をはらむ阿弥陀仏の名前は
悪毒にまみれた毛虫を蛹の中で液状化して変態させ、
蝶として飛び立たせる、喜ばしい名前である。

宇宙の無限の働きにまかせ、南無阿弥陀仏と称えれば解放される。
この信じがたいけれどもいったん信じればダイアモンドのように堅く、歓びにあふれた信心は、
疑いの雲をすべて払いのけ、解放を約束してくれる、大いなる真理である。
そのように阿弥陀経に説かれているのである。

そうであれば、私たちのような愚かで無力な者には
実行しやすい真実の教え、解放された世界への近道だ。
釈迦が生涯の間に教えたことの中に、
この徳に満ちた大いなる海におよぶものはひとつもない。

汚れすさんだこの世で鬱になり、浄らかな解放された世界を願う者よ。
自分の力でなんとかしようとする修行に迷わされて
宇宙の無限の働きにまかせる信頼を確立できずに揺れ惑う者よ。
心が暗闇に覆われ、しっかりした意識に乏しく、
罪悪が重くて、障壁に取り囲まれた者よ。

そのような者こそ特に、
釈迦の「さあ、この道を行け」という教えを仰ぎ、
必ず、最もすぐれたこのまっすぐな道、
宇宙が私たちを呼び戻している道にすべてをまかせ、
もっぱら、宇宙の無限の働きにおまかせしますと称える行だけをありがたく思い、
そのようにして解放されることだけをひたすら信じきって、
さあ、両手を放すんだ。

ああ、宇宙の無限の願いは何度生まれ変わっても出遭うのは難しい。
宇宙の無限の願いが私を貫いて生まれる真実の信心は、永遠の時の流れの中でも得るのは難しい。
このたび、その教えに出会い、それを信じる心をいただくならば、よほどの深いご縁である。
それを喜ぼうではないか。
もしまた今回、
疑う心が吐いた糸でできた蜘蛛の巣に自らかかるならば
またしても永遠とも言えるほどの時を闇の中にからめとられて
過ごさなければならない。
すべての存在を救いとって捨てないという真実の言葉、
時空を越えてここに届いた、世にも稀な真理を深く聞き受け止めて、
けっして、ためらいはばかることがあってはならない。

愚かな禿げおやじのこの親鸞は、ああ喜ばしいことになった。

インドやガンダーラに伝わる聖なる経典、
中国や日本の先達である師たちの論や解釈に、
ああ、そのめったに遇うことなどできないものに今遇うことができたのである。
ああ、そのめったに聞くことのできないものを既に聞くことができたのである。

こうして
根源的真実の教えと、
宇宙の無限の願いを信じゆだねる道と、
その証としての悟りを
敬い信じることができたのである。

特に、無限の真実そのものとなった存在の
深い願いが成就し、
すべての存在の解放が約束されたことの、
この上なきありがたさを感じさせていただくようになった。

そうであるから、
聞いたことを讃え、
得た感動を愛(め)で味わうために
経典や論や解釈を引用していくことにしよう。
ああ、そうしようではないか。

(引用終わり)

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