大阪の路面電車に車椅子で乗る

 さて、新今宮からの阪堺線である。まず無人である。てことは、スロープなしか・・・。掲示板を片端から見る。1970年代の過激派の手配写真が貼ってある。
 こんな学生写真貼っても今、じいちゃんだよ。しかし、昔は銭湯などで見たが久しぶりに見たな。なんでここだけ残ってるんだ。やっぱりこのあたりに潜伏していると思われているのか。それって偏見でしょう。
 おっとそんなこと考えている暇はない。スロープはどうしたらいいんですか? 高齢者の方で援助が必要な方はお電話くださいという電話番号見つけた。かけて100回ぐらい呼び出すがでない。そのうち電車がきた。
 電車とホームの距離を見て、ほっ。あれなら、女性ヘルパーでも乗り越えられる溝。と、思いきや、扉が開くとそこは二段の階段ではないか。「えええええ! 階段!」運転手が降りてきた。ワンマンカーなのである。
 「ずっと電話してたんですが、誰もでなくて。車椅子乗れますか?」
 「よっしゃ、皆で持とう」とそこらへんのおっちゃんたち。ほら、ここは過激派の潜伏する街じゃない。やさしいおっちゃんの街、釜ヶ崎だ。よってたかって、乗せてくれる。一番後ろに移動する。この電車の終点だから降りるのはゆっくりでいい。
 途中、線路は道路と交じり、80センチ×3メートルぐらいの小さなホームが道の真ん中にある。今の僕にはあそこに降りるのは無理だ。車椅子を下ろすことさえ幅から見て危険だし、ましてや足で降りたらガクガク震えて転倒する。あそこには柵をつけて手すりをつけないと絶対転落する。今の僕には平均台より綱渡りに近い。
 「これが大阪か・・・」
 確かに子どものときこれに乗ったような気がしないでもない。だが、京都や広島の記憶とも混じって何がなんだかわからない。
 幸い終点近くなると再び線路は道路と分離し、まあまあまともなホームについた。また、おっちゃんたちが手伝って下ろしてくれる。
 そこから中国鍼灸はすぐだった。さっき書いたようにとても効いた。
 さて帰りだが、同じことを繰り返すより、南海住之江から新今宮にでましょうと言って、南海へ。南海はいい。車椅子スペースもあるし、エレベーターの数も足りている。新今宮につき、JRへの乗り換え方を聞くと、そこのエレベータを昇ったらJRの改札がありますと教えられる。「ただし、JRはエレベーターがなくて」とJRの悪口までは言わない。企業倫理というものだろう。
 だが、僕は知っている。南海はエレベーターがあるからいいが、JRはエレベーターが反対側しかないから、南海からの連絡改札へ行くとJR職員が4人揃うのを待って、階段をまるまる一階分、おろしてもらうしかないのだ。しゃらくさい。4人でもつとかなり安定して怖くはないのだが。
 僕は「下へ降りて外から、JRのエレベーターのあるがわに回りましょう」という。そしてJRに乗って帰ってきたのだが、車椅子スペースなど影も形もないので、適当な場所、たいていは車掌前にブレーキをかけて、座っている。
 このようにJRは私鉄に比べ、エレベーターの利便性、社内の車椅子スペースなど、たいへんバリアフリー化が遅れている。もう一度いう。リニアモーターカーなどもってのほかだ。
 阪堺電車はもう交通機関と思わないことにしよう。大阪遊園地のレトロなライドと思うことにしよう。

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