初詣の浅い歴史
初詣について。
歴史的に考察していきませう。(ここだけ旧かなづかい。)
これまた、日本の古き伝統と思っている人はけっこう多いけど、
そもそも近代以前には、初詣という習慣はなかった!
家族の幸福を祈るため、家長が氏神神社に大晦日から元日にかけて「年籠り」する習慣はかなり古くからあった。(旧正月)
やがてその年籠りのうち大晦日の部分と、元日の部分を別々に考えるようになった。
その元日の部分は、恵方詣りといい、自分ちから見て恵方にある神社やお寺に参詣したのである。
恵方っちゅうのは、これまた陰陽道の思想であって、神道はともかく、少なくとも仏教には関係ない。
仏教ちゅうもんには、
そういう吉凶もクソもない。
覚醒するか、
宇宙の限りなき働きにまかせるかして、
吉凶などという次元は
おととい超越してしまうのが仏教やから。
その恵方やけど・・・
毎年変わるさかい、めちゃややこしい。
信仰してないのに知らんがなと思って、僕も勉強していない。
しかし、ともかく2021年なら辛丑(かのとうし) の方角らしいよ。
現代人にわかりやすく言うと、南南東らしいよ。
そっちにあるお寺や神社に詣でるなら、陰陽道にも沿った恵方詣りとなる。(旧正月にな)
もしもそっちに適当な神社や寺がなかったら・・・
方違えすればいい。
古文などを読んでいると、旅の出発などで、どうしてもこっちへ行きたいときにそっちが不吉な方角なら、まず吉の方角に出発する。
それからそこから目的地に向かって出発し直す。
こういうことをやってまんな。
それが「方違え」やと、学校の古文の時間に習います。
氏神や、贔屓にしている推しの神社仏閣にどうしても行きたいのに、恵方でなかったら、この方違えをしたらいい。
まあ、とにかく、どの方角でもええというわけではなく、恵方に行かないと意味を持たないのが恵方詣りだった。
しかも、この恵方詣りは飽くまでも年籠りの元日部分の話。
年籠りしないと意味がなく、その元日部分を恵方詣りとしただけや。
少なくとも江戸時代はそうやったし、明治時代の中期ぐらいまでそうやった。
それが近代になってから、伝統が途切れた。
年籠りに関係なく、元日に恵方詣りするようになった。
しかもだんだん恵方にこだわらなくなっていった。
何の都合でそうなったかというと・・・・・・
鉄道会社の都合やがなーーーー。
大勢の参拝客を運んで儲けたい各鉄道会社は、自分とこの路線にある有名社寺を恵方詣りの目当てとして、宣伝合戦をして競争した。
ちょっと陰陽道知ってる人やったら、そやかて、そこ、今年は恵方違いますでとなる。
そやからもう恵方やのうてもええということになった。
こうして大正時代以降に、恵方詣りの伝統も破壊されて、初詣っていうのが、始まったんや。
初めから仏教とは関係ないけど、ついに陰陽道から見ても、めちゃくちゃになりましたんやけど、
近代資本主義の要のひとつ「鉄道」の儲けのためなら、伝統も宗教も風習もクソもない。
それが現代の初詣の正体である!
いってらっしゃーーーーい!!!
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