アッパーワールドでジョンレノンに会う(2)

2018年9月16日シャーマニズムのジャーニーのレポート (2)
 それは久しぶりに戻ってきたパワーの漲る感覚だった。腹の底からの温もりとやさしさがアナハタを満たし、ヴィシュダに繋がっていく。それは大げさに言うと全能感のようなものであった。パワーアニマルを通して力の源泉とコンタクトしているので、このような充実したエネルギーに満たされるのである。
 私はパワーアニマルと一体化したようでもあった。動物の毛皮を被って踊るシャーマンの気持ちがわかった気がした。イメージの中の私は毛皮を被って踊るシャーマンのようでもあったし、それ以上に完全にパワーアニマルと一体化した存在になったようでもあった。
 ダイダラボッチである私は限りなく巨大になることもでき、また限りなく極小になることもできた。ジャーニーに入る前にパワーアニマルと繋がっているときの他の人の視野の話を聞いている中、鳥や空を飛ぶ存在は鳥瞰的な視野を得るのをうらやましく聞いている自分がいた。しかし、今私は巨大なダイダラボッチになれば、遙か彼方まで見渡すことができ、地面を上空から鳥瞰することができた。また極小になれば、地べたから世界を見ることができた。
 この感じがかなり気にいった私は、太鼓が帰りの合図を告げても地上に帰りたいとは思わなかった。
 そもそも私は変性意識が好きで、現実社会やその構造、そこに住む人々を大好きとは思えない自分がいた。いや、本当にそうか? わからないが、少なくとも、恋人などから「あなたはこの現実世界をあまり愛していないのではないか」と言われることがよくあった。が、ゆえにこの現実世界を愛する、抱きしめるということは私のひとつの課題になっている嫌いがあった。もっと言うならそれがひとつの強迫観念になっている嫌いがあった。
 私は空なる世界、解脱している世界が好きだった。生まれも死にもしないのが一番よかったと感じる傾向があり、それがゆえに仏教にも傾倒したのだと思う。
 今、私はその空なる世界とは逆にパワーの漲る野生の世界とのコンタクトという変性意識の中にいても大変満足だった。そもそも私は変性意識が好きで、それは空なる世界だけではなく、このアンダーワールド的なパワーの源との一体化でも同じだったのである。
 帰りたくないんだけど・・・と考えると、お腹のダイダラボッチが、大丈夫、いつも私がお腹の中にいるからと言った。帰るというのは、このジャーニーの約束事だったので、私は地上に帰ることにした。それは臨死体験の際にずっとここにいたいと思った人が、まだダメだ、帰れと言われる際の感覚に似ているのではないかと思った。(実際の臨死体験ではそのような場面はなく、ただ空なる覚醒になり、ただ気づいたら身体に戻っていた。)
 私は腹にダイダラボッチを感じたまま地上に帰った。そのあとシェアの時間があったのだが、シェアしている時にすでにあのアンダーワールドで実感していたほどの全能感は失われているのを感じた。だので、帰りたくなかった。変性意識のほうが、この状態より好きだ。あそこにいた方が幸せだということも含めてシェアした。(つづく)

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