おむすびころりんの深層

おむすびころりんの深層                  長澤靖浩

「ちょっとそこを行くあなた」(勝山高校 教員+生徒 文集)第3号
1991年1月号より

昔々・・・(と、時間軸の遠いかなたに投影しなければならないほどの、意識の深層に)子供みたいなおじいさんとおばあさんがいました。(ただの子供ではなく、ただの年寄りでもなく、「再び幼子のように」(マタイによる福音書)なったおじいさんとおばあさんです。)
ある夜、まんまるなお月さんを見て、はしゃいで踊りまくったおじいさんとおばあさんは、おなかが減ってしまい、あのお月さんのようなまんまるおもちが食べたいと思いました。(天体の動きに感応するありのままの感受性をもっていたので~す。)
そこで、翌朝、おじいさんが町にまんまるおもちを手にいれに行くことになりました。おばあさんが握ったおむすびと交換しに行くのです。さておむすびをたくさん箱に詰め、おじいさんは出発。(むすびは、 魂を結んだ霊力の固まりであり、また身体を養う食べ物であり、はたまたこの場合は、商売のための貨幣の役割ももっていました。その三重の構造がギュッと結び固まったのが、おむすびなのでありました。)
ところがおじいさんは途中でとてもおなかが減ったので、おむすびを食べようかと、箱をあけてしまいました。でもいやいや、まんまるおもちが買えなくなる。おばあさんが待っているしな。と、思い直すのですが、やっぱり腹が減った。ええい、ひとつくらいいいだろう、と食べようと手にとります。(ここで貨幣としてのおむすびは皮が剥けて、食べ物としてのおむすびが姿を現しました。)
ところが、おじいさんは手をすべらせてしまい、おむすびはころころころりんと転がって、ねずみの穴 に落ちてしまいます。するとどうでしょう。穴の中から、ねずみたちの楽しそうな歌声が聞こえてくるではないですか。おじいさんは喜んで、歌に合わせて踊ってしまいます。ハイなじじいやなあ。(ここでおむすびは食べ物としての皮が剥けて、ついにその核心である霊力を発揮。地の霊であるねずみたちを揺り動かしたのです。)
ところが、歌はしばらくすると止まってしまいます。そこでおじいさんはもうひとつおむすびを穴に転がします。(貨幣としての皮も、食べ物としての皮もいっきにひっぺがして、霊力としてのおむすびをころがすのです。)
地の霊はますます喜び歌い踊り、おじいさんも合わせて歌い踊ります。ほれもうひとつ、ほれもうひとつ。とうとうおむすび全部ころがしてしまいます。(このじいさん、先のことなんか考えていません。現代の天の霊、宇宙存在バシャールもすすめるとおり、ワクワクすることをとことんやってしまうのです。)
あげくの果てにこの身まるごと、ねずみの穴にころころころりん。霊の世界に参入してしまいます。(こうなったらもうシャーマンやな。)
おじいさん、地霊の世界でねずみといっしょに踊りまくります。そして帰りに杵と臼のおみやげをもらいます。 「持って帰って、もらった杵でもらった臼をつくと、あらまあびっくり、まんまるおもちが次から次へと あふれ出してくるではありませんか。(イエスいわく、天の神はあなたがたが何を必要としているのかご存じである。・・・地の霊だって、ごぞんじさ。全部全部、ほんとうは自分=大いなる自己なんだからね。バシャールいわく、ワクワクすることをすることはあなたの得たいものを得るための一番の近道です。) 「おじいさん、おばあさんといっしょに大喜びでまんまるおもちをいただいたとさ。
(あるいは臼の中からは大判小判がザクザクという説もある。まんまるおもちが出てきたというのは、臼という錬金術の器からマルクスの言う使用価値(食べ物)が生まれ出てきたということで、大判小判が出てきたというのは、使用価値を飛び越えてマルクスの言う交換価値(貨幣)が出てきたということでごわす。どちらでもお好きなように。)

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