光る風(1)

小説の下書きに使います。

朝から薄曇りだった野外音楽堂の空が、にわかに暗くなり、風も強くなってきた。
小回りの効く小さな電動車椅子の上から、光一は空を仰いだ。空の奥深くから、雨粒が落ちてきて、手応えを持って頬を打ち始めた。
本格的に降り出すかもしれない。
光一は体をねじって、車椅子の後ろに掛けてあった赤いリュックサックのファスナーを開いた。
コンビニでもらった小さなビニール袋の余りを取り出す。それを右の肘掛けの前の推進レバーに被せ、コントローラー全体をおおった。
電動車椅子はパソコンと同じだと考えなければならない。雨に打たれて故障した場合は、保障は効かない。
業者から何度もそう言い聞かされていた。しかし、雨が降れば外出できないのなら、障碍者差別解消法に悖る。電動車椅子に防水機能がないなら、外出する自分ではなく、電動車椅子が悪い。
それが高次脳機能障碍も併発している光一の理屈だった。
とはいえ、最も精密機器が集中しているのではないかと勝手に考えたコントローラーの部分に、雨から守るためにビニール袋を被せるのは、光一の習慣の一つだった。
ステージは屋根に覆われており、ミュージシャンは歌いつづける。雨に負けじとむしろドラムスは走り、ボーカリストは絶叫する。
絶叫の中にも、様々な壁と闘って生きるはみ出しものの心情が歌いこまれたこの歌が、光一は好きだった。
こうしてインディーズのミュージシャンが集まる野外フェスをしばしば訪れるようになったのは、電動車椅子に乗るようになってからだった。不自由になった体と引き換えに、学校の教員の仕事を辞めた彼はあり余る自由を得たのだ。
彼は、半透明のビニール袋の中の黒いレバーを倒し、車椅子を前進させた。石でできたステージぎりぎりにぶつかると、ステージと車椅子に囲まれた小さな空間ができた。
光一はその空間に立ち上がった。心室細動に伴う低酸素脳症後遺症で転倒しやすくなった彼だったが、首から下には器質的な障碍がなかった。
いざというとき後ろの車椅子に倒れこめばよいという空間を作りだすことで、立ち上がることができた。
彼はその狭い空間を踏みしめながら、体を揺らした。踵をあげステップを踏むとバランスを崩しすぐに転倒する。が、両足を地面に踏みしめている限りは、腰を振り、上半身を揺らし、両手を天に振り上げることができた。
音楽を聞いていると、自分の歩んできた人生の様々な結節点が脈絡もなく脳内に明滅する。時に笑いがこみ上げ、時に涙がこぼれる。
だが、自分はまだ生きてこの世の光を浴び、雨に打たれている。
あの時、心室細動でライブ会場で卒倒し、救急車のAEDで心拍を再生するまで13分もの間、心肺停止という事実上の死を経験した自分は死の淵から帰って来て、踊っている。
そのこと自体が奇跡であり、歓びも悲しみも、それを感じられるということが奇跡の一部なのだ。
狂ったように頭を振り回すダンスは、若い頃から、インドの瞑想の師匠のアシュラムで繰り返してきたフリースタイルだ。
自らと共に世界全体が搖れ、目を開けても閉じても、ぶれまくった画面が、墨絵の中の川のように流れ続ける。
歓びも悲しみもあふれた尻から吹き流される。
一陣の突風が舞台右袖から吹いて、光一のうなじの雨と汗の混じった光の粒を吹き飛ばした。
その時、車椅子のコントローラーに被せてあったビニール袋が、パタパタと風にはためくのを、光一は目の片隅に捉えていた。
やがてビニール袋は風を孕んで膨らむと、ふわりと宙に舞い上がった。
あっと行方を追う視線の中、ふわりと浮き上がったそれはすぐに地面に落ち、座席のないステージ前の地面を左袖に滑っていった。
最前列の座席を、ひとりの女性が立ち上がり、風船を追って駆け出した。
見知らぬ美しい女性だった。(つづく)

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