脳内現象としての念仏を問う ZOOMミーティング感想

昨日の落合誓子さんゲストのZOOMミーティングはよかった。
不覚にも涙を禁じえませんでした。
本物の念仏者です。
自分はどの学問をしてもいいという高校生だったのに
これしかないと思い
6年間を浄土教の研究にいそしみました。
そしてその現実の負の歴史と現状における保守的限界に傷つきはて、浄土教を棄てました。
そんな自分にとって、昨夜の話は自分は間違ったものを研究したわけではないという感覚を鮮やかに蘇らせるものであり、感、極まりました。
レコーディングの公開について、今までやってなかったんですが、調べてみます。
落合さんの基調講演の部分だけ、できたら公開したいです。
高橋啓さん、パネリストお疲れ様でした。
赤裸々な人生を語っていただきましたが、落合さんはあるがままに受け止め聞いていたと思います。
また来ていただいた方々ありがとうございました。
声を出されなかった方、映像を映さなかった方も、僕には誰かわかっていた人が殆どです。
今、この話を共に聞くことになっていた必然性をひしひし感じました。
来ていただきありがとうございました。

facebookから、いくつか、私のコメントを転載します。

真宗教団に対するあれほど激烈な批判はないんですけれど、
僕と違って、願いの深さが先に伝わるんです。
精進します。(^_^;)

OSHOに対しても似た構造があります。
僕にとっては少年あびを救ったものが、社会的には人々特に小さくされた人たち(差別される立場の人々)を裏切っている。
その壊れた回路がつながるのです。
(「小さくされた」とは、キリスト者、本田哲郎さんの言葉で、はじめから小さいのではなく、社会的に追いつめられられ、小さくされたという意味です。)

もしも心動かされた作品があればサポートをよろしくお願いいたします。いただいたサポートは紙の本の出版、その他の表現活動に有効に活かしていきたいと考えています。