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この世に投げ返されて(17) ~臨死体験と生きることの奇跡~

(17)
 
 杖を突いて外出すると転倒する可能性が高すぎる。今回は頚椎の損傷が手足の痺れがしばらく続く程度で済んだけれども、場合によっては首から下が永遠に麻痺してしまうような痛め方をしてしまうこともありえる。
かといって、転倒防止のための服薬を長期連用してはいけない量にまで増やし、ずっと続けることは、身体にとって別の危険がある。またたとえそうしていても、あらぬことで突然緊張すると痙攣が増幅するし、ちょっとした地面の変化に脳の運動機能が対応できず、転倒することもある。
退院直前に「治って歩けるようになった」と思ったのは誤解で、服薬量を最大限にして、禁忌を侵して連用していたからに過ぎなかった。
実は自分はひとりで外出できない身体障碍者になったのだ。
 これは私にとって二度目の障碍受容でした。やはり今回も大きな抵抗や葛藤はありません。
身体障碍者手帳が必要である。外出援助のガイドヘルパーが必要である。
私はパソコンのキーボードを叩いて必要な手続きを調べ始めました。
 「調べたんだけどさ・・・」私が福祉サービスを受けるための手順をどんどん前に進めていると、また友人たちは驚きました。
 「障碍受容、速っ!」
 特に福祉の仕事をしていたり、身近に障碍者がいる人の方が、人々の実態を知っているだけに、却って驚きが大きかったように思います。
 「普通はもっと、自分が障碍者になったということに抵抗するのよ。どうやらそうらしいとわかっても、障碍者手帳を取ったり、福祉サービスを受けたりすることに踏み切れない人もいるわけよ」
 「えっ。なんで? 必要やん」
 「必要でも、施しを受けるのが嫌だと感じる人もいるのよ」
 「施し? 違うよね。これは権利だよね。健康で文化的な生活。ええっと憲法25条だよね」
 「だから・・・そうすっきりと思えて、すぐにそうやって行動を起こし始めるのは、長澤さんが特別にメンタル強いからなわけなんだけど、それすら実感がないというのは相当メンタル強いというか・・・もしかしたら、ほかの人の葛藤を理解するのが難しいという問題があるかもしれないぐらいだわ」
 そんなことを言って、苦笑いする人もいました。
 私は市の障碍福祉室の相談員の予約をとって部屋に来てもらいました。
二名の相談員が連れ立って部屋にやってきました。
これまでの経過を説明し、
「で、身体障碍者手帳と、全身性障碍の外出援助のガイドヘルパーが必要と思うわけです」と言いました。
 相談というより、もうこちらサイドで、自分で調べて、結論まで出ているわけです。
 「診断書がありますか」市職員は尋ねました。
 「はい。あります」私は部屋の床を這っていき、引き出しから診断書を取り出して、また這って座卓の近くまで戻って来ました。座卓の上に広げた診断書には「高次脳機能障害」と書いていました。
 「この診断書だと精神障碍の手帳になりますね」
 「えっ? でも、僕が困っているのは身体障碍ですよ」
 「しかし、診断書に基づいて判断しますので、高次脳機能障害だと、精神障碍です」
 この時、私はその後あらゆる局面で延々と続いていく「お役所仕事」との闘いの最初の火蓋を切ることになったのでした。
 「今、私がこの診断書を出すためにすら、部屋の中を這っていって取り出してきたのを見てたでしょう。私に必要なのは身体障碍者手帳です。それと外出の際に身体の困難を援助できるガイドヘルパーですね。車椅子を押したり、手をつないで歩いたり」
 「はい。外出支援には全身性障碍のガイドヘルパー、知的・精神的障碍のはガイドヘルパーなど何種類かの資格がありますが、この診断書でご利用いただけるのは、精神障碍者のガイドヘルプですね」
 「えええ? 歩行困難で、転倒の危険性があるから来てもらうのに?」
 「これは脳の障碍なんです」
 市職員は座卓の向こうに二名並んでいたのですが、口を揃えてそう言い、譲りません。
 「自分が脳の障碍が原因というのは、僕は本人だから嫌というほどわかっていますよ。でも、その結果、歩行困難なんですよ。現にひとりで出かけたら、頚椎を損傷して危険だったのです。だから、今後必要なのは、身体障碍者手帳と全身性障碍のガイドヘルパーですよ。特に全身性障碍のガイドヘルパーはすぐに必要です。いなければ、この部屋から買い物のために外出することもできません」
 「ただね。お気持ちはわかりますけど、高次脳機能障害は脳の障碍で、脳の障碍は精神障碍なんですよ」
 壊れたレコードプレイヤーの上で針が同じところをぐるぐる回っている。
「お気持ちとかではなくてさあ、現実なんですよ。僕の言っていることが本当にわからないんですか。マニュアルの方ではなくてさあ、目の前にいる人間を見てくださいよ」
 この台詞はその後、色々な局面で何度も何度も、やるかたない思いで口にすることになります。
 ある意味では、この世に投げ返された私の前に立ちはだかっていた一番大きな障碍は、人間の作ったシステムと、それが具体的なひとりひとりの実態を無視して、ただただマニュアルに沿って動いているという社会の現実だったのです。
 
 この国は、あの戦争に負けたときの切実な誓いにどれくらい近づくことができたでしょうか。あるいは、いったん近づくことのできたはずのその理想から、再び、どのくらい遠ざかってしまったのでしょうか。
 
 
約束の島    ひかる(長澤靖浩)
 
(詩文集『生存権はどうなった』コールサック社 所収)  
 
この島は約束の地
誰もが
雨風をしのぐ屋根のしたで
仲間とともに
豊かな実りを口にし
肌にやさしい服を着て
好きな歌をうたい
読みたい本をよみ
躍りつかれて眠る
 
病のときは手当をうけ
仕事をうしなえばさがしてもらえる
どうしても働けなくなったら
あなたが人らしく生きるために
必要なものすべて
皆があなたにとどけてくれる
 
この島は約束の地
足がなえた人は
車椅子で
目の見えないひとは
愛すべき犬と一緒に
好きな場所へ出かけ
会いたいひとに会う
 
一番困っている人がお先にどうぞ
力あるものは
それをささえる
 
きれいな水
おいしい空気
樹々は風に梢を揺らし
やさしい人たちと一緒に笑う
 
この約束はすべて
国があなたに誓ったもの
 
この島は約束の島
無謀で残虐な戦争に敗け
焦土と化した島の上で
皆でともに交わした約束

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