「倶舎論」をめぐって

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さて、チベット人学僧の『倶舎論』注についても述べておく必要があるだろう。この方面からのアプローチは、まだ、端緒についたばかりで、これからの分野である。チベット的に変質した実態は、中観等の様々な分野も視野に収めねば、解明出来ないと思われる。未開拓の分野と思われるので、以下、私自身の研究を織り交ぜて、やや詳しく論じてみたい。
まず、チベットの状況を紹介しておこう。闇の中にあったその状況を報告した最初の研究者の1人が、わが国では、池田錬太郎氏である。池田氏は、チベット大蔵経におけるアビダルマ文献の種類を検討して、チベットのアビダルマ研究の特徴を次のように述べている。
 …すなわち、チベットにおいてアビダルマ仏教といった場合、その中心をなすのが『倶舎論』であるということが、こうして単に典籍の数の上からだけでもわかるのである。…したがって、チベットに伝えられたアビダルマ論書は、インドにおいて成立した多種多様な諸の論書と比較したとき、きわめて限定された範囲のものであると言わざるを得ない。それは説一切有部系の、しかも『倶舎論』及びその関連の論書に限られると言っても大過ないのである。(池田錬太郎「チベットにおけるアビダルマ仏教の特質」『東洋学術研究』21-2、特集・チベット仏教、1982,pp.129-131)
池田氏は、このようにチベットのアビダルマ研究を『倶舎論』偏重と断じたが、『倶舎論』注以外のチベット文献にも注意を促している。それは、「学説綱要書」または「宗義書」と称される1群の文献である。チベット語では、ドゥンタ(grub mtha’)といわれる書である。池田氏は、当時利用可能なものとして、5点を挙げている。学説綱要書は、毘婆沙師→経量部→唯識派→中観派の教義を順に論述する形式の文献である。


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