仏教余話

その135
彌永氏の指摘は、痛いものだが、正鵠を得ているだろう。明治からの仏教・インドは、日本的な屈折の中にあるのである。しかし、日本ばかりが、そのような偏見に染まっているのではない。客観的に写るヨーロッパのインド学者も、実は、同じような陥穽に陥っている。その点を、湯田豊氏は、こう綴る。
 〔インド学の創始者である〕マクス ミュラーおよびドイセンは”人間は本質を有する”というカントの理性信仰を彼らの理論的な枠組みとしたのである。このような枠組みに基づいて、インド哲学という学問(Wissenschaft)が二人のドイツ人によって創始された。日常的な経験によって知覚され得ない”それ自身における事物”あるいは”物自体”の存在は、二人の学者にとって不可欠であった。インド哲学のキーワード、アートマン〔本来的自己〕あるいはブラフマン〔究極の実在〕は、ミュラーおよびドイセンによって、”物自体”として理解された。カントが”物自体”に対する信仰のために場所を空ける目的で知識を廃棄したように、ミュラーおよびドイセンもアートマンに場所を空けるために経験的な知識を廃棄したのである。ミュラーおよびドイセンの理論的な枠組みは、一九世紀のヨーロッパのインド学者にとって支配的であった。(湯田豊「インド哲学の理論的枠組みの組み換えについて」『現代思想 特集 インド的なるもの』1994 vol.22-7 6,pp.221-222)
つまり、ヨーロッパのインド観も、カント的理解にすっかり染まっていたわけである。虚心にインドを理解しない点では、日本もヨーロッパも変わるところがない。湯田氏は、更に、具体的にヨーロッパ流の理解に切り込む。事は、仏教の中心教義に及んでいる。極めて、面白いので、ついでに見ておこう。
 仏教の”涅槃”は、一九世紀のヨーロッパにおいて”無”であると解釈された。現象の背後に”物自体”は存在しないというのが、仏教の基本的な思想である。物自体を否定したゆえに、仏教はニヒリズムとみなされ、ヨーロッパの哲学者は仏教を重要な体系として研究しなかった。それはともかく、現代においてさえ、涅槃は物自体あるいは自己自身の真実の自己として理解されることもある。もしも初期仏教において”真実の自己”が認められるとすれば、それはカント的な仏教解釈の結果であると言ってよい。カント的に読む人は、初期仏教の中に二つの自己を認めるのを好む。”経験的自己”は現象であり、”真実の自己”は物自体あるいは本体である。カント的に初期仏教のテクストを読む時に、人は”真実の自己”をブッダの本来的な教えとして理解するに違いない。…〔ウイーン大学前教授である世界的なインド仏教研究者〕フラウヴァルナー〔E.Frauwallner〕は、”虚偽の自己”および”真実の自己”という二つの自己を示唆した。中村元博士…は二つの自己の存在を認めている。中村博士によれば、初期仏教において二つの自己、すなわち、日常生活における経験的自己および宗教的自己が認められている。ブッダは形而上学的な実体としてのアートマンを想定しなかったけれども、彼は実践的ならびに倫理的関連における人間の行為の主体としての自己の存在を肯定したーこのように中村博士は主張する”真実の自己”は形而上学的な実体ではなく、実践的な要請であるというのが中村説のハートである。ブッダは経験の世界の変化しつつある現象の下に、持続する何かあるものを信じていたーこのように中村博士は解釈する。喪失したアートマンを回復することを初期仏教徒の理想とみなし、中村博士は次のように言う。「・・・初期仏教における修行とは、見失われた自己を実現することであると考えられた。これをわれわれの表現をもっていうならば、真実に自己、本来の自己に復帰することであるといえるであろう。ひとは真の自己を把握せねばならぬ、と考えた」(〔中村元『原始仏教』〕一九七○年、八九―九○頁)私見によれば、フラウヴァルナーはカントの”物自体”をモデルにしてブッダの教えを解釈した。現象の背後に、”持続する何かあるもの”、あるいは”真実の自己”を想定する点において、中村博士は初期仏教のテクストをカント的に読んでいると言えるかもしれない。(湯田豊「インド哲学の理論的枠組みの組み換えについて」『現代思想 特集 インド的なるもの』1994 vol.22-7 6,pp.229-230,〔 〕内は私の補足)
ヨーロッパの著名な学者のみならず、本邦の大学者中村元博士まで、カントの影響下で、インド仏教を解釈していたとは、驚くべき現象である。


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