仏教余話
その100
我々としては、宇井伯寿の業績の意味を、仏教の専門家として、きちんと確認だけしておこう。高崎直道博士は、その辺りのことを、こう述べている。
宇井はその後、新しい眼で『成唯識論』の再検討を試み(一九二八)、ついで、法相宗によって誤りとして斥けられていて真諦訳の諸論の文献研究(一九三一、『印度哲学研究』第六)を経て、『摂大乗論研究』(一九三二)によって、真諦の伝えた旧訳の唯識説こそが、〔インドの〕無着・世親の真意を伝えるものであり、玄奘訳は後世の改変を含む新学説であることを論証した。この見解は伝統的な法相教学を旨とする学者たちとの間に一大論争をひき起した。宇井説は近代の研究方法によるラディカルな伝統批判であったが、そのいきつくところ、逆に真諦の伝えた学説の絶対評価となってしまい、法相教学の絶対視と同じ平面におりてしまった。その後の研究は真諦における如来蔵思想の混入を明らかにしたし、また宇井説自体に如来蔵縁起説への傾斜の見られることも指摘された。(高崎直道「瑜伽行派の形成」『講座・大乗仏教8 唯識思想』昭和57年、p.5、〔 〕内は私の補足)
高崎博士の要を得た説明で、学説論争の経緯がつかめたことと思う。この辺りの消息を宇井博士自身の言葉から聞いてみよう。
真諦の伝えた所を公平に明らかにせんとすれば、玄奘系統の固陋の学者は之を頭から排斥して罵詈讒謗を敢えてなすのがこの系統の学者の常套である。これ等の学者は〔自らが信奉する〕護法が何の立場に立って居るかすら考えて居ないのあつて、立場の異なるものに対しても、自己の立場と同じと見て、排斥にのみ専心するのである。(宇井伯寿「仏教研究の回顧」『インド哲学から仏教へ』1976所収、pp.491-492、〔 〕内私の補足)
相当に激烈な言葉を吐いて、論敵を難じている。本人の肉声である。
ただ、法相宗という呼称には、用心が必要である。その辺の事情に詳しい、吉村誠氏は、次のように述べている。
玄奘とその門流の著作を見る限り、自らを「法相宗」と称する記事は見当たらないようである。玄奘は自らの立場をただ「大乗」と称することが多かった。(吉村誠『中国唯識思想史研究 玄奘と唯識学派』2013,p.33)
ただ、この呼称の流布状況を見て、ここでも、法相宗を使って、論じたし、これからも論じようと思う。
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