仏教余話

その16
再度確認しておきたいが、漱石のいた時代は、かくも怪しげな人物が闊歩していた時代でもあったのである。最新の研究として、粟屋利江「近代から現代へ」『新アジア仏教史02インドII 仏教の形成と展開』平成22年、pp.342-345がある。また、近年、明治期の仏教動向研究は急速に進み、ネットでは科研費研究として、「近代における知識人宗教運動の言説空間―『新佛教』の思想史・文化史的研究」が披見出来る。参考のためその中から、ほんの1部を抜粋してみよう。神智学に関わる下りである。
 この懐疑主義に入ったという認識が、神智学の評価につながっている。明治28年3月に発表した「西蔵仏教の探検」では、チベット仏教は日本の仏教徒にとっては、大乗非仏説の歴史的研究のためだけではなく、神秘説の研究のために重要である。なぜなら、宗教的信仰は合理的批評によって危機に瀕しており、これを救うのはミスチシシズムだからである。彼〔古河老川〕は「懐疑時代に入れり」の問題を引き継いで、次のように述べる。
  「西洋も日本も今日の一大潮流は懐疑なり、批評なり、破壊なり、不安心なり、此際においてミスチシズム起こらざらんと欲するも豈得んや、魯国の女丈夫マダム、ブラハトキー大いに欧州に活動せしは、此ミスチシズムの起る兆しなり」
 神智学、催眠術、禅の流行はミスチシズムの兆しであるが、ヨーロッパでミシチシズムが流行したのはブラヴァツキーとオルコットがチベットから学んだからである。日本の禅や真言はあるミシチシズムだが、現在は衰退している。ミシチシズムを実践するためにはチベット仏教に学ぶ必要があるというのが彼の主張であった。古河のこの神秘主義論は、実は彼自身の意見ではない。そのかなりの部分を、東大選科漢文科で一年先輩であった田岡嶺雲の神秘哲学に負っている。(吉永伸一「オルコット去りし後―世紀の変わり目における神智学と“新仏教”」p.93,ネットから転写、〔 〕内私の補足)
耳にしたこともないような人物の行状も追って、この分野の研究は細密を極める。後で、チベット仏教や大乗非仏説論については、触れていく。
 


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