ヨーガとは

その5
では、立川博士の説明で、わかりにくいと思われる文をさらに引用し、解説してみましょう。博士は「古典ヨーガは霊(れい)我(が)と原質(げんしつ)の二原理を立てるサーンキャ哲学にもとづいており、ハタ・ヨーガは一元論を主張するヴェーダンタ哲学にもとづいている」と述べています。サーンキャ哲学とは何でしょうか。前に二元論の説明で、簡単に触れたことがありますが、ここで、もう1度、解説しておきましょう。サーンキャ哲学は、サーンキャ学派の思想を言います。この学派もインドの正統派に属します。実は、ヨーガ学派と親密な関係にあって、思想的には類似しています。インド学者の宮元(みやもと)啓一(けいいち)氏の説明を引用してみましょう。
 サーンキヤ哲学は、精神原理(プルシャ、自己)と非精神原理(プラクリティ、原質)とを峻別(しゅんべつ)する二元論です。自己は身心や環境とは別のものとされます。つまり、身心や環境は、非精神原理から流出したものなのです。ですから、同じ二元論というとすぐに連想されるデカルトの二元論とは内容がまったく違います。デカルトは、実体を精神的実体と物質的実体とに分けますが、精神的実体として彼が考えたのは心に他なりませんでした。…サーンキヤ哲学では、非精神的原理から流出したものが世界であり、自己は世界外存在だと考えられます。(宮元啓一『インドの「二元論哲学」を読むーイーシュヴァラクリシュナ『サーンキヤ・カーリカー』』2008,p.iii、ルビ私)
宮元氏の言う「精神原理」が立川博士の「霊我」に当たり、宮本氏の「非精神原理」が「原質」に相当します。先ほど、『ヨーガ・スートラ』の私訳で「鑑賞者(真の自分)」と訳したのは、「精神原理」「霊我」のことです。これは、物質世界と全く無関係な世界にいて、物質世界を「鑑賞」しています。本来の自己は、その「鑑賞者」「精神原理」「霊我」なのです。ざっとした解説で恐縮(きょうしゅく)ですが、『ヨーガ・スートラ』はサーンキャの二元論の立場に立っていることが、わかればよいと存じます。
 

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