日本人の宗教観ーある観点ー

(日本人には宗教はないとよく耳にします。しかし、そんなことはありません。私がそう思った理由を綴り、その内実を探る試みをしてみようと思います。賛同するか・しないかはあなたの判断です。)
その1
日本芸術と仏教思想
 我々日本人はエコあるいは「もったいない」という考え方を素直に受け入れられます。これは、自然と人とを一体として捉えることが、身についているからです。自然の中に「精霊(せいれい)」のようなものを認めたり、虫の声等に秋の気配(けはい)を感じたりと、自然は人に身近な存在です。勿論(もちろん)、世界中どこにでも、自然を崇拝(すうはい)し、その中に神のような存在を感じ取ること、すなわちアニミズムはありますが、日本人の自然(しぜん)観(かん)は単なるアニミズムではとらえ切れないものでしょう。世界を魅了(みりょう)している漫画やアニメを生みだす心、昨今(さっこん)流行している「かわいい」文化、そして「ゆるキャラ」の広がり、これ等すべてを作り出す素地(そじ)は、もはや忘れられたけれど、その自然観なのです。それは、平安時代に生まれ、鎌倉室町時代に完成した、仏教思想を土台としています。あまりに身近な思想となったせいで、今では存在したことさえ知る人は少ないのです。まずは、日本人の血肉(ちにく)となって、今に伝わる仏教思想を紹介し、文化との関わりを見ていきたいと思います。
主に、三崎(みさき)義(ぎ)泉(せん)『止観的(しかんてき)美意識(びいしき)の展開 中世(ちゅうせい)芸道(げいどう)と本覚(ほんがく)思想(しそう)との関連』「ぺりかん社」(平成11年、題名のルビは私)を基(もと)にして、日本の文芸・芸術の背景にある仏教思想を探ってみましょう。鎌倉室町以降、日本文化は、ある仏教思想の洗礼を受け、もはやそれなしには、あらゆる文化・芸道そして思想も成り立たなくなっていきました。その肝心(かんじん)な思想に触れる前に、そういった思想を甘受(かんじゅ)する土台を見ておきましょう。 
 現代では賛嘆(さんたん)されるばかりの『源氏(げんじ)物語(ものがたり)』の作者 紫式部(むらさきしきぶ)(10-11世紀)は、実のところ、物語を書く行為自体に悩んでいました。物語は、1種のフイクションであって、事実ではありません。これは、仏教的な厳しい戒律からすれば、嘘をつく行為に等しいのです。嘘をつけば地獄に落ちると当時の人は考えていました。紫式部は、それを恐れたのです。そこで、逃げ道を模索(もさく)し始めました。その渦中(かちゅう)、目を引いたのが、唐の詩人 、白(はく)楽天(らくてん)(772-846)です。三崎氏は、王朝人(おうちょうじん)を救った白楽天の言葉を示しています。原文とともに、書き下し文と現代語訳を読んで下さい。
 願以今生世俗文字之業、狂言綺語之過、転為将来世々賛仏乗之因、転法輪乃縁也。十方三世諸仏応知。(三崎本、p.35)
 今生(こんじょう)世俗(せぞく)の文字(もんじ)の業(なりわい)、狂言綺語(きご)の過(とが)を以(もっ)て、将来世々(せぜ)賛仏乗(さんぶつじょう)の因、転(てん)法輪(ぽうりん)の縁に転ずるを願うなり。十方(じゅっぽう)三世(さんぜ)の諸仏応に知るべし。(書き下し文、私)
 この世では、世俗的な文学を生活の糧とし、虚言の罪があったので、来世では、〔それらが〕仏を讃える因となり、説法の縁となることを願います。回りや過去・現在・未来にいる仏たちよ、知って下さい。(現代語訳、私)
この発言には、当時人気の的であった『法華経(ほけきょう)』というお経の裏付(うらづ)けがありました。三崎氏の著作には、その書き下し文があるので、そのまま引用しておきましょう。『法華経』では、こう説いています。
法を聴(き)きて歓喜し賛(ほ)めて乃至(ないし)一言を発するときは、即ちこれ已(すでに)に一切(いっさい)三世(さんぜ)の仏を供養(くよう)するなり(三崎本、p.35、ルビは私)
 教えを聞いて、感激し、思わず自分で言葉を発するときは、すべての仏を供養していることになる〔ので、彼の言葉は嘘ではない〕(現代語訳、私)
こうして王朝人の文芸には、お墨付(すみつ)きが与えられたのです。与えたのは、白楽天と『法華経』でした。これを踏まえ、三崎氏は次のように言います。
 この思想は日本人を喜ばした。…漢詩受容と万葉(まんよう)以来の和歌の成長とに努力していた日本人には、”何のための文芸か”を体験的にわかりかけてきた時期であったためか、たちまちに歓迎され利用されて、文芸の発展を大いに助けることとなった。とくに論拠(ろんきょ)が『法華経』であり、王朝(おうちょう)人士(じんし)は法華経的大乗(だいじょう)仏教(ぶっきょう)に帰依(きえ)していたから、これ以後は、まったく安心して和漢の文芸にいそしんだ。(三崎本、p.37、ルビは私)
こうした時代の前提があって、とある仏教思想が受け入れられる素地(そじ)が作られました。そして、時代を経て、文学と仏教思想の結びつきは、いよいよ顕著(けんちょ)になります。その例として、三崎氏は、往時(おうじ)の俗謡(ぞくよう)、今でいう歌謡曲を集めた『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』から一(ひと)下(くだ)り抜粋(ばっすい)しています。
以下のようなものです。
 狂言(きょうげん)綺語(きご)の誤(あやま)ちは、仏を賛(ほ)むる種として、麁(あら)き言葉も如何(いか)なるも、第一(だいいち)義(ぎ)〔真理〕とかにぞ帰るかな。(三崎本、p.51、〔 〕内・ルビ私)
分かりやすいように、現代語訳してみましょう。「フイクションを書く罪は、結局、仏を讃える種のようなもので、不躾(ぶしつけ)な言葉だって何だって、仏の本当の真理に行きつくのだ」
三崎氏は、この俗謡に対し、こう述べています。
 このように、どんな美の捉え方でも仏教ではゆるされるといった、ある種のデカダンな芸術至上(しじょう)主義(しゅぎ)が瀰漫(びまん)したけれども、(三崎本、p.51、ルビは私)
このデカダン的風潮が広がる前には、それを準備するための思想的営為がなければなりません。それが、冒頭で触れた「ある仏教思想」です。それを「本覚(ほんがく)思想」といいます。主に、京都の比叡山(ひえいざん)・延暦寺(えんりゃくじ)で醸成(じょうせい)さました。日本仏教を代表する思想と言えましょう。そのためか、外国人研究者の関心も呼びます。ここでは、その中から、ストーンさんという女性研究者の著作を紹介しておきましょう。
 Anyone who has read even a little about medieval Japanese religion has no doubt encountered at least one reference to the immensely influential Tendai Buddhist discourse of “original enlightenment”(hongaku),the assertion that all beings are Buddhas inherently. (Jacqueline I.Stone;Original Enlightenment and the Transformation of Medieval Japanese Buddhism,1999,Honolulu,p.xi,ll.1-7)
(私訳)ほんの少し、中世日本宗教を齧(かじ)ったことのある人なら、天台仏教の「本覚(ほんがく)」説の途方もない影響に関して、最低でも1つの言及に出会う。疑いなくそうである。〔「本覚」とは〕、「一切(いっさい)衆生(しゅじょう)(=すべての人間)は、本来、仏である」という説である。
 もっと分かりやすいように、有名な書物から、関係個所を引いてみましょう。「祇園(ぎおん)精舎(しょうじゃ)の鐘の声、諸行(しょぎょう)無常(むじょう)の響きあり」の名文句で知られる『平家(へいけ)物語(ものがたり)』は、仏教思想の宝庫でもあります。同書には、白(しら)拍子(びょうし)、祇(ぎ)王(おう)・祇女(ぎにょ)が登場します。彼女たちの有名な歌を読んでもらえば、本覚思想の骨格(こっかく)は一目瞭然(いちもくりょうぜん)でしょう。
 仏も昔は凡夫(ぼんぶ)(=ただの人)なり、われらも終(つい)には仏なり
 何れも仏性(ぶっしょう)具(ぐ)せる身を 隔(へだ)つるのみこそ悲しけれ
つまり、仏も我々も仏性という「仏に成る因」を持っているので、差はない、と述べています。無論、本覚思想には様々なヴァリエーションがあって、これだけがすべてではないのですが、その肝心(かんじん)要(かなめ)の理論は、この歌に出ている通りです。一応、白拍子について、ごく概略的な説明をしておきましょう。細川涼一氏は、こう述べています。
 白拍子は傀儡(くぐつ)から出たものと言われ、舞女(まいおんな)が白い水干(すいかん)に立(たて)烏帽子(えぼし)、白(しろ)鞘巻(さやまき)の脇差(わきざし)(短刀)を指すという男装(だんそう)で男(おとこ)舞(まい)を舞うもので、院政期(いんせいき)頃から現われ、鎌倉時代に入ってから流行したものである。しかし、この白拍子は舞女であると同時に、娼妓(しょうぎ)をも兼ねた…(細川涼一『逸脱の中世史』2000,p.192、ルビ作者・私)

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