仏教豆知識

万国宗教会議
その1
もうご存知かもしれませんが、「蜘蛛の糸」の出典をめぐる話を紹介しておきましょう。以下のような次第です。
 『蜘蛛の糸』の典拠(てんきょ)については、吉田(よしだ)精一(せいいち)氏がドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』第七編三の「一本の葱(ねぎ)」を最初に指摘した。しかし、山口(やまぐち)静一(せいいち)氏がポール・ケーラスの『カルマ』所収の「The spider web」に拠るものと指摘した後、片野(かたの)達郎(たつろう)氏がその邦訳である釈宗(しゃくそう)演(えん)校閲(こうえつ)、鈴木(すずき)大拙(だいせつ)訳述(やくじゅつ)『因果(いんが)の小車(おぐるま)』(長谷川商店、明31・9)所収の「蜘蛛の糸」であることを特定した。片野氏の説は、後に安田(やすだ)保(やす)雄(お)氏、藤(ふじ)多佐(たさ)太夫(だお)氏、宮坂覺(みやさかさとる)氏によって検討・確認され、現在に至っている。なお、『因果の小車』の原典『カルマ』は、アメリカの雑誌『オープン・コート』(1887、シカゴにて創刊。宗教的色彩の強い総合誌)に明治27年(1894)に掲載(けいさい)された仏教的因果(いんが)応報(おうほう)の物語で、同年にトルストイがロシアの一雑誌に翻訳すると、直ちにヨーロッパ各地に紹介され、後にはアメリカに逆輸入さえされることとなった作品である。日本には明治28年(1895)に鈴木大拙によって最初『仏陀(ぶっだ)の福音(ふくいん)』という題名で翻訳され、再度明治31年に『因果の小車』として紹介された。芥川が手にしたのは後者である。(高橋龍夫「芥川龍之介『蜘蛛の糸』の世界―宮沢賢治『永訣の朝』との関連からー」『筑波大学 人文教育研究 24 1997年、pp.16-17、ルビ私)
誰もが知っている「蜘蛛の糸」の来歴が、よくわかる解説です。文中登場する、釈宗演(1860-1919)とは、鎌倉円覚寺(えんがくじ)の住職で、夏目漱(なつめそう)石(せき)に禅を指導し、葬儀(そうぎ)の際には導師(どうし)を務めたことでも知られています。その弟子に当たるのが、鈴木(すずき)大拙(だいせつ)(1870-1966)です。禅の布教で世界的に有名な人物なので、知っている人も多いでしょう。この2人は、1893年にシカゴで開催された「万国(ばんこく)宗教(しゅうきょう)会議(かいぎ)」に参加しました。その会議で、釈宗演は英語の講演を行いました。その原稿の英訳には鈴木大拙が関わったと言われています。釈宗演の講演内容は、仏教の因果についてでした。ちょうど、その講演を聞いていたポール・ケーラス(Paul Carus,1852-1919)は、いたく感激したと伝えられています。その後、鈴木大拙は、ポール・ケーラスの下、オープン・コートで働くことになりました。「万国宗教会議」には、他にも多くの日本人が参加し、当時人気のなかった大乗仏教を宣伝したのです。会議で1番聴衆に受けたのは、インドからきたヴィヴェーカナンダ(S.Vivekananda,1863-1902)だったと言いいます。アメリカでは、当時、キリスト教への懐疑が高まっていたこともあり、アジアの宗教家達の話は、興味を持って聞かれました。ちなみに、現今大流行しているヨガを西欧に伝えたのは、ヴィヴェーカナンダであるとされています。

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