新インド仏教史ー自己流ー

その2
マガダというのは、当時の大国の名です。ウィキペディアによると、バラモン等の古い勢力から自由で、新しい宗教家達、六師外道のような人達が過ごしやすい所であったようです。経済的にも非常に強い国だったので、暮らしやすかったのでしょう。舎衛城とはもう1つの大国コーサラ国の首都です。祇園(ぎおん)精舎(しょうじゃ)があった所です。平家物語の冒頭にも登場する祇園精舎は、もともとインドにあった場所の名前です。仏教を深く信仰する裕福な人から、寄進された場所です。シャカは、マガダとコーサラを活動拠点として、修行し布教も行いました。そして王舎城はマガダの首都です。当時の様子を見てみましょう。中村元氏は、こう述べています。
 釈尊入滅(にゅうめつ)当時の大都市としては、・・・六大都市のあったことが伝えられている。道路は一定の計画にもとづいてつくられ、道路の交差点には公園があった。その道路に沿って家屋(かおく)や店が並んでいたのである。各家には道路に面したところに庭があって、そこでは時々にぎやかな宴会(えんかい)が行われていた。・・・生活物資が豊富となり、商工業が発達したのにともなって、この時代には貨幣(かへい)経済(けいざい)の進展(しんてん)がいちじるしい。・・・流通(りゅうつう)経済(けいざい)が盛んになり、生産品が商品として等価(とうか)交換(こうかん)されるようになれば、一切のものが貨幣価値によって評価されるようになる。しからば貨幣で評価されうる財(ざい)富(ふ)を多く所有する人が、社会的勢力をもつようになるのは当然である。・・・いまや〔身分の上下にかかわらず〕経済的実権を把握(はあく)した人が社会的覇者(はしゃ)として登場した。(中村元『中村元選集[決定版]第5巻 インド史』1997年、pp.274-277、ルビ・〔 〕私)
現代とあまり変わらない様子が描写(びょうしゃ)されています。
さて、「禅定」という言葉があります。禅も定も瞑想のことです。禅は原語デゥヤーナを音で訳した音写語で、定は同じ言語を意味で訳したものです。その2語を合体させたのが禅定です。「無所有処定」を簡単に説明しましょう。肉体のような物質世界を遠く離れた場所を「無所有処」と言います。そこでは意識はほとんどありません。そのような瞑想=定を指しています。次に「非想非々想処定」を解説します。「非想非々想処」は物質世界を離れた究極の世界のことです。その瞑想=定では、全くと言っていい程意識も煩悩もありませんが、ほんのかすかな煩悩が残っているとされます。このように、インドでは瞑想の分類は大変発達しています。瞑想大国と考えてもいいでしょう。しかし、現代人にはその境地はわかりません。簡単な解説はこのくらいにして、シャカのその後を見てみましょう。上の記述には、「智慧」の重視が言われています。でもシャカは、智慧に一直線に進んだのではないようです。再び、平川氏の本から抜粋してみましょう。
 そこで釈尊は森に入って独自に修行を始めた。・・・苦行(くぎょう)を修したという。・・・釈尊は、何人(なんびと)も受けたことのないような激苦激痛に堪(た)えつつ、正念(しょうねん)に住したが、しかし常人を越えた聖なる知見(ちけん)は得られなかったという。そのとき、かつて青年時代に父(ちち)王(おう)に従って農耕の祭りに外出したとき、樹下(じゅか)に坐禅して初禅(しょぜん)に達したことを思い出した。そしてこれこそ「悟(さと)り」(Bodhi ボーディ 覚)に至る未知であろうと考えて、苦行を捨てたという。(平川彰『インド仏教史』上、1974年、pp.37-38,ルビ私)
シャカは苦行というステップを踏みます。なぜそうしたのでしょう。おそらく当時の修行者、沙門(しゃもん)の間では苦行が重要視されていたので、それに従ったからだと思います。こうして、禅定と苦行という代表的な修行法を捨てたわけです。現代の仏教では、両方とも大事な修行とされています。この大学の源(みなもと)である曹洞宗(そうとうしゅう)では、坐禅を修行の眼目(がんもく)としていますし、滝(たき)行(ぎょう)等の苦行はよく目にするものです。この辺りのことをよく考えていかなければ、仏教の本筋(ほんすじ)は把握(はあく)困難でしょう。シャカの伝記でも、よく言及される逸話(いつわ)にデーヴァダッタの造反(ぞうはん)があります。彼は、シャカの親族で、シャカの教団運営に不満を持ち、次の5項目の規定を僧に課すことを求めました。
1)僧侶は人里離れた所に住むこと。
2)托鉢のみで生活し、供養接待を受けてはならないこと。
3)糞掃衣(フンゾウエ、ゴミダメ等から集めた布で作った衣)のみを着て、信者から施された衣を身に着けないこと。
4)樹下のみに座り、屋内に入らないこと。
5)魚や鳥獣の肉をたべないこと。
どれひとつを取っても、悪いことはありません。むしろ、よいことのように見えます。現に、今日の仏教各宗派では、よいこととして、行われているのです。ですが、この5項目は、教団の理念に反するものとして退けられました。教団において肝心なことは、 
1)都会の近くに住んで、活発に議論すること。
2)信者の接待を受け、心置きなく、教えを伝えること。
3)清潔な衣を着て、寒暖を避けること。
4)屋内で、雨露をしのぐこと。
5)何でも食べて、健康であること。
なのです。この例を見てもわかるように、仏教の本義は、苦行等にはないようです。興味があれば、各自、仏伝を調べてもらいたいと思います。この分裂騒ぎを起こしたデーヴァダッタは、仏教史における代表的悪役です。


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