仏教余話
その229
私の知っている範囲で、彼等について述べてみよう。まず、ホプキンスは、アメリカのチベット仏教学の指導者的人物で、著作も多い。最近のものとしては、その仏教理解に定評がある、ジャムヤンシェーパ(’Jam dbyangs bzhad pa,1648-1722 )という有名な学僧の難解な書の英訳Maps of the
Profound,Jam-yang-shay-ba’s Great Exposition of Buddhist and Non-Buddhist Views on the Nature of Reality(Ithaca,New York,2003)がある。また、サーマンには、ツオンカパの著名な著作『善説真髄』Legs bshad snying po(レクシェーニンポー)の英訳がある。ちなみに、彼の娘は、女優のユマ・サーマンである。ジーン・スミスは、数多くのチベット語資料の出版に尽力した。現在、チベット語資料の多くが、電子テキストという形で、カワチェンという出版社から購入できるが、その資料もジーン・スミスによるものが多数を
占める。デイヴィッド・ジャクソンは、現在ハンブルグ大学で教鞭を取る、第一級の学者である。彼は、サキャ・パンディタ(Sa skya pandita,1182-1251)というチベット史上、欠くことのできない学僧の1著を訳注研究した。サキャ・パンディタは、モンゴルがチベットに侵攻した際に、チベット側の代表者として、モンゴルとの交渉に当たった人物である。彼の弟子、パスパは、後に、元の皇帝フビライの帝師となる。その辺りの事は、重要
であるので、少々、見ておきたい。こういう説明がある。
フビライは雲南遠征の途上、一二五三年に陝西の六盤山でパクパと会見し、「施主―帰依処」の関係を結ぶ。一二六○年の即位後、フビライはパクパを国師、次いで帝師に任命し、パクパが大元ウルス仏教界の頂点に立つことでチベット仏教の優位が確立された。フビライにとって、パクパはチベット支配・経営のための「窓口」であると同時に、自らの王権を強化するための格好の相手でもあった。パクパが自らの仏教思想に基づき、フビライを仏教世界の理想的帝王である“転輪聖王”と位置付けたのを受け、フビライは大元ウルスを統治するために、チンギスが「とこしえの天」から承けたシャーマニズム的な「カリスマ」を伝承する以外に、初めて仏教的権威を導入したのであった。(石濱祐美子・松川節「後伝仏教の諸相」「付論 モンゴル仏教」『新アジア仏教史09チベット 須弥山の仏教世界』平成22年所収pp.103-104)