Tips of Buddhism

No.50
Timothy Richard(1845-1919)was a Welsh Baptist missionary who spent 45 years in China,where he was deeply involved in political and intellectual circles….Richard drew attention to “the Mahayana Buddhism of East Asia”in contrast to the Theravadan tradition that had been the focus most precious Western scholars and missionaries,and was immensely interested in the historical relationship between Buddhism and Nestorian Christianity…(孫
知慧「近代仏教の東西交渉 ティモシー・リチャードの仏書翻訳と仏教理解」『関西大学東西学術研究所紀要』48,2015,p.281)(hints,Mhayana Buddhism大乗仏教、Theravadantradition上座部的伝統、Nestorian Christianityネストリウス派キリスト教)

(訳)
ティモシー・リチャードは、ウエールズのバプティスト派伝道師(でんどうし)である。45年中国で過ごし、そこで深く政治界学界に関わった。・・・リチャードは、「東アジアの大乗仏教」に関心を引き寄せた。ほとんどの西欧の学者や伝道者が上座部(じょうざぶ)的伝統に注目したのと対比的だった。そして、仏教とネストリア派キリスト教との関係性に多大な関心を抱いた。
(解説)
19世紀から20世紀初頭、西欧人は小乗仏教こそが仏教であると考えていた。上の文の上座部は小乗仏教に相当する。だが、珍しいことに、ティモシー・リチャードは、大乗仏教に関心を示した。孫氏の論文から引用してみよう。
 なかでも注目されるのは、リチャードが東アジアに広がった「大乗仏教」に心酔(しんすい)したことである。その自伝から中日韓(ちゅうにっかん)の仏教を語る内容を見ると、その理由がわかる。まず、「中国仏教」に対する主な関心は、中国の歴史上の「景(けい)教(きょう)と仏教の関連」である。彼は唐代(とうだい)における景教の活動を立証する陝(せん)西省(せいしょう)西安(せいあん)の「大秦景(だいしんけい)教(きょう)流行(りゅうこう)中国(ちゅうごく)碑(ひ)」と、かつて長安(ちょうあん)・洛陽(らくよう)で生じた景教と仏教の接触に注目した。そして、中央アジア・シルクロードを舞台とした東西の人的物的交流、それが中国仏教の性格を形成したと強調するのであった。
 かつて昔から、遠くの中国も、陸路と海路を通じて西洋と交流した。仏教僧侶として栄(えい)雲(うん)、義浄(ぎじょう)、玄奘(げんじょう)は、中央アジアの陸路を通じて西方に向かっており、そのうち何人かは、貿易商人と船団とともに海路を通じて戻って来た。約千年前中国の首都洛陽には、インド人、パルティア人、そしてネストリアン宣教師(せんきょうし)2000人程度が住んでいた。
...要するに、大乗仏教は1世紀頃、インド一帯で「キリスト教との相互交渉」を通じて複合的に形成されたものであり、それが中央アジア、シルクロードを経て東アジアに伝播(でんぱ)し、現在に至っていると強調した。(孫知慧「近代仏教の東西交渉 ティモシー・リチャードの仏書翻訳と仏教理解」『関西大学東西学術研究所紀要』48,2015,pp.285-286、ルビ私)
景教というのは、ネストリウス派と称され、異端(いたん)の烙印(らくいん)を押された1派である。日本の映画
のロケ地として有名な太(うず)秦(まさ)には、景教寺院があったとされる。ローマを追放された景教徒は、
遠く中国にまで逃げ、日本へも渡ったと伝えられる。ティモシー・リチャードは、日本で、珍しい人物に出会った。名をエリザベス・アンナ・ゴルドン(Elizabeth Anna Goldon,1851-1925)と言う。彼女は、世界宗教を夢想し、仏教とキリスト教は同一であると主張し、日本の京都ホテルで生涯を閉じた。以下のような論考がある。
 近世や近代ではなく、そのはるか以前に弘法大師(こうぼうだいし)空海(くうかい)を通じて景教(アジアに宣教したキリスト教異端ネストリウス派の教え)が日本に伝来し、仏教(真言(しんごん)密教(みっきょう))と習合(しゅうごう)したと主張、キリスト教と仏教の教えはもともと同根であったとする仏耶(ぶつや)一元論(いちげんろん)を提唱した。また、古代の日本には、渡来人(とらいじん)の秦(はた)氏(し)として多量のユダヤ人が移民していたという日ユ同祖論(どうそろん)を展開、東西の信仰を一つにつなぐ新たな救世主として弥勒(みろく)を位置づけていた。(安藤礼二「エリザベス・アンナ・ゴルドン夫人をめぐって」『宗教研究』83,2010,p.141,ルビ私)


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