「倶舎論」をめぐって

XLVII
kilaに関して、ほとんど言及されることはないのであるが、かなり、重要な論文を紹介しておこう。それは、エメノウ(M.B.Emeneau)の「サンスクリット構文上の不変化詞―kika,khaku,nunam」M.B.Emeneau,Sanskrit Syantatic Particles-Kila,Khaku,Nunam,Indo-Iranian Journal,XV-4,1969,pp.241-268という論文である。エメノウは、冒頭で、次のようにいって、論を始めている。
 サンスクリット語・構文上の不変化詞は、その意味に関して、未だ、全く、注意を喚起していない。デニソンの「ギリシャ語不変化詞」ほどの注目を集めていないのだ。実際、そのうちのいくつかについて、我々は、知っていることで、ほどよく、満足し得ているからなのである。例えば、ca,tu,va,eva,ivaである。他の人からすれば、我々の知識ははなはだ怪しいのである。そこで、私は、この小論で、特に、kila,khalu,nunamに注目する所存なのである。(M.B.Emeneau,Sanskrit Syantatic Particles-Kila,Khaku,Nunam,
Indo-Iranian Journal,XV-4,1969p.241)
そして、様々な文献から用例を集め、kilaについて、2つのグループ分けを行い、第1グループをこうまとめる。
 大きな括りでは、kilaは、それが現れる文において、伝統的に聞かれた情報を示している。3つの下部分類がある。(1a)伝統的物語が言及または言われる、あるいはその文で始められる。しばしば、pura「古の」を伴い、文に現れる。(1b)古代の習慣が述べられる。(1c)伝統的教義が述べられる。例えば、一般的に承認されている教義、ドグマ、ことわざ、雑学である。(M.B.Emeneau,Sanskrit Syantatic Particles-Kila,Khaku,Nunam,
Indo-Iranian Journal,XV-4,1969、p.245)
更に、第2グループに関しては、こうまとめている。
 別の大括りでは、kilaは、最近の出来事として、または、ある出来事のエピソードとして聞いた情報を含んでいることを示す。(M.B.Emeneau,Sanskrit Syantatic Particles-Kila,Khaku,Nunam,Indo-Iranian Journal,XV-4,1969、p.247)
『倶舎論』やヤショーミトラ注におけるkilaは「(1c)伝統的教義が述べられる。例えば、一般的に承認されている教義、ドグマ、ことわざ、雑学である。」に相当するものであろう。
kilaに相当するチベット語はloである。こちらも一瞥しておこう。イエシケ(H.A.Jaschke)のA Tibetan- English Dictionaryは、よく使用される辞書である。そこでloは、talk,report,rumour,saying「話、報告、噂、ことわざ」の意味とされ、例文として、da lam thar lo「今、道が開いたそうだ」とある。また、語彙数の多い、『蔵漢大辞典』には、lo grag zer gsum gyi ya gayr zhig ste ma rangs pa’i tsig「lo,grag,zerの3つのどれも、つまり、不服の言葉である」とあり、用例として、mkhas pa mgo rmongs so lo/「賢者は、姿を隠すものといわれている」とあるが、はっきりしたことはわからない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?