新インド仏教史ー自己流ー

その3
今紹介したサーンキャ派と深い関係にあるのが、ヨーガ派です。昨今では、ヨガと呼ばれ、体操の1種と言う認識が広がっていますが、ヨガは原語に忠実に発音すれば、ヨーガと伸ばすのが正しく、しかもその原点は体操とは異なります。ヨーガは「心を何かに結びつける」「集中する」という意味がもともとなのです。つまり、「精神を集中して悟りを得る」というのが、ヨーガの始まりです。それに励む人のグループをヨーガ派と呼んでいます。教理的な面は、サーンキャ派に依存することが多いので、サーンキャ派とヨーガ派は姉妹学派とされています。体操ヨガの原点が、古いインドの宗派、ヨーガ派であることはあまり知られていませんけれど、事実です。もっとも、「精神集中」の形態を取る、古いヨーガは時代を経て、形を変えていきました。それをハタ・ヨーガと呼びます。
中村元氏は、以下のように説明しています。
 後代になると、曲芸のような体操を教えるハタ・ヨーガ(hatha-yoga)がさかんになった。ハタ(hatha)とは「力を加えること」「力づく」の意味であり、ハタ・ヨーガとは、「体操ヨーガ」といってもよいような、からだを使うヨーガである。いわば、身体的生理的な実行を示したヨーガの行法である。今日インド以外の国々で流行しているヨーガは、このハタ・ヨーガを主としている。これが健康と美容をたもつための方法として効果的であると考えられているからであろう。(中村元『中村元選集[決定版]第24巻 ヨーガとサーンキヤの思想 インド六派哲学I』p.307)
少々、脱線しますが、現代ヨガの原点に触れておきましょう。ウイキペディアから、西欧への伝播の模様を抜き出してみます。
ヨーガは、精神的リーダー、ヴィヴェーカナンダによって、1893年のシカゴ万国宗教会議訪問,及び1896年の書物『ラージャ・ヨーガ』で、西欧世界に紹介された。
Yoga was introduced to the Western world by the spiritual leader Vivekananda's 1893 visit to the World Parliament of Religions in Chicago, and his 1896 book Raja Yoga.90年( from Wikipedia,Yoga as exercise 、最終閲覧日、2022/12/28,16;56)
スワミ・ヴィヴェーカナンダ(Swami Vivekananda,1863-1902)をウイキペディアで検索すると、こうあります。少々、余計な個所を省略してあります。
 スワミ・ヴィヴェカナンダは、インドのヒンドゥ―教の僧、哲学者、著作家、宗教的指導者で、神秘家ラーマクリシュナの愛弟子だった。ヴェーダーンタとヨーガを西欧に伝えた鍵となる人物である。
Swami Vivekananda・・・was an Indian Hindu monk, philosopher, author, religious teacher, and the chief disciple of the Indian mystic Ramakrishna. He was a key figure in the introduction of Vedanta and Yoga to the Western world;[
(from Wikipedia,Swami Vivekananda、最終閲覧日2022/12/28,17:10)
 
以上は、ごくごく簡単な現代ヨーガの歴史紹介です。ここでは、もう少し、詳しく見ていくことにします。幸い、永嶋(ながしま)弥生(やよい)という人が、かなり詳細な修士論文をネット上に公開していますので、それを使ってみます。永嶋氏は、以下のように論じます。
 本来のハタ・ヨーガは、解脱(げだつ)へと向かう思想の体系であり、そこには、人体についての一種の生理学的説明も含まれていた。…このようにハタ・ヨーガまでに形成された思想と実践の総体としてのヨーガから、アーサナ〔座法〕と多少のプラーナヤーマ〔呼吸法〕の部分を取り出し、一種のエクササイズにアレンジしたものが近現代のヨーガである。(永嶋弥生「「鍛える私」から「癒される私」へ~現代ヨーガに関する文化史的研究~」2011、早稲田大学提出の修士論文、p.24,ルビ・〔 〕私,最終閲覧日、2022/12/29,14:32)
さらに、こう述べています。
 17世紀以降、数多くのヨーロッパ人がインドを訪れるようになると、ヨーガとヨーガ行者は彼らの知るところとなった。興味深いのは、ヨーロッパ人たちが、思想としてのヨーガには高い評価を見出し、研究対象としたのに対して、その実践者としてのヨーガ行者たちには不審(ふしん)と敵意の眼を向けたことである。行者たちは、しばしば黒魔術(くろまじゅつ)、性的(せいてき)放蕩(ほうとう)、不潔(ふけつ)さ、飢餓(きが)などのイメージのもとに表象された。…学者達にとって現実の行者たちは、文献のなかの「真のヨーガ」とは相容(あいい)れない「危険な乞食(こじき)詐欺師(さぎし)」に過ぎなかった。…ハタ・ヨーガという言葉は、こうしたヨーガ行者の姿と重ね合わせられた。…近代ヨーガは、これまでに見てきたハタ・ヨーガを取り巻く負のイメージを払拭(ふっしょく)し、それを近代的・西洋的な身体観へと接続するところから生まれるのだが、この再編過程において最初に大きな影響力を持ったのは、スワーミー・ヴィヴェーカナンダ…の活動と彼が1896年に出した『ラージャ・ヨーガ』…であった。(永嶋弥生「「鍛える私」から「癒される私」へ~現代ヨーガに関する文化史的研究~」2011、早稲田大学提出の修士論文、pp.25-27,ルビ・私)
ウイキペディアでもその名を見た、ヴィヴェーカナンダがキーマンとして言及されています。しかも、ウイキペディアではわからなかったハタ・ヨーガに対する悪いイメージが、納得できます。話は続きます。
 ヴィヴェーカナンダの『ラージャ・ヨーガ』は、霊的な達成を標榜(ひょうぼう)しながらも、西洋近代思想の影響を大きく受けるとともに、西洋人のまなざしを強く意識したものであった。(永嶋弥生「「鍛える私」から「癒される私」へ~現代ヨーガに関する文化史的研究~」2011、早稲田大学提出の修士論文、p.28,ルビ私、最終閲覧日2022/12/29,14:33)
言い方は悪いですが、西洋にすり寄ったハタ・ヨーガのイメージを作り出したのが、ヴィヴェーカナンダであったとも考えられます。サーンキャの話から、ヨーガのことに広がりました。インド哲学あるいはインド仏教が身近になれば学ぶ意欲も湧くでしょう。

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