Tips of Buddhism

No.74
The mind of the Great Sage of India was intimately conveyd from west to east.Among human beinge wise ones and fools.But in the way there is no northern and southeran Patriarch.The subtle sources is clear and bright;tributary Stream flow through the darkness.To be attached to things is illusion.To encounter the absolute is not yet enlightenment
(from Wikipedia Sandokai,2019/08/15)

(訳)
インドの大聖者の心は、親しく、東から西に伝えられた。人間の中には、賢い者も愚かな者もいる。しかし、道において北も南の祖もいない。妙なる本源は、澄み輝いているが、支流は、暗闇の間を流れている。物事に執着するのも迷い。絶対的なものに出会うのも未だ悟りではない。
(解説)
曹洞宗の寺院では、朝夕の勤行(ごんぎょう)の際、必ず誦(じゅ)される『参(さん)同契(どうかい)』の冒頭である。作ったのは石頭稀遷(せきとうきせん)(700-790)と言われる。中国の禅僧で、六(ろく)祖(そ)慧能(えのう)から法を継ぎ、如(にょ)浄(じょう)を経て、道元に伝わり、日本曹洞宗が生まれた。原文は以下の通り。
 竺土大山の心、東西密に相附す。人根に利鈍あり。道に南北の祖なし。霊源明らかに皓潔たり。支派暗に流注す。事を執するも元これ迷い。理に契うも亦悟にあらず。
ウイキペディアの英語版Sandokaiには、こうある。
 『参同契』の書名は、2世紀の道術士(どうじゅつし)の練(れん)丹術(たんじゅつ)の書と同じである。『参同契』として知られ、よく『三同類』と訳される。
禅宗で珍重(ちんちょう)される『参同契』の遥か(はるか)昔(むかし)に、道教に同じ題名の書物があったと言う。石頭稀遷も、その存在を知っていたはずである。道教では、薬物を使用し仙人になり、不老不死を実現することを理想とする。石頭稀遷のウイキペディアには、奇妙な文言が添えられている。
以下の如し。
 曹洞宗大本山総持寺には石頭のものとされるミイラが安置されている(非公開)(2019/08/13)
ミイラにして永久に保存するのは道教的な不老(ふろう)不死(ふし)に通ずるものがある。道教と仏教の『参同契』は宗教の枠を超えて見直す必要がある。ミイラについての逸話(いつわ)だけ紹介しておこう。
“無際(むさい)大師(だいし)(石頭和尚のこと)を日本に持って来たのは山崎(やまざき)彪(あきら)という歯医者で、中国にいて大師を研究していたという。大師を祀(まつ)っていた寺は、湖南(こなん)にあったという話で、その寺を明治四十四年(一九一二)の辛亥(しんがい)革命(かくめい)の時に、革命軍が焼いてしまった。その時、山崎さんは猛火の中に飛び込んで大師をかつぎ出したといっていた。・・・実はこのように曹洞宗にとってかけがえのない石頭和尚が、日本ミイラ研究グループの研究室に眠っているのは勿体(もったい)ない、と当時の鶴見(つるみ)の総持寺(そうじじ)の首脳部(しゅのうぶ)が考えたというわけある。・・・当時、毎日新聞東京本社第二事業部長だった筆者の職場に、突如(とつじょ)として現れた黒(くろ)染め(ぞめ)の衣(ころも)をきた十数名、乙(おと)川副(かわふく)貫(かん)主(しゅ)とその侍従(じじゅう)たちである。・・・然(しか)も、その御来訪(ごらいほう)は、一再(いっさい)ならず・・・。結局、ミイラは「伝・石頭和尚」として大本山総持寺に永久に祀られることになった。昭和五十年八月十八日のことである。(松本昭『日本のミイラ仏』昭和60年、pp.204-207)
このような話も、石頭稀遷等の禅宗に興味を抱くきっかけになれば幸いである。お気づきのように、ここでは仏教に関する事象を出来るだけ広く扱っている。思想に興味を抱く人もいれば、歴史的なことに関心を持つ人もいる。人それぞれでいいので、仏教的なことに心を向けてもらうきっかけになれば、良いと思う。


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