因明(インド論理学)

その2
次に、出版に漕ぎ着けるまでの苦労が語られる。
 ダラル(C.D.Dalal)氏は、苦労の末、ジャイサルメル(Jaisalmer)で重要でユニークな写本を発見した。それらの中には、『真理綱要』のテキストと注があった。彼は、すぐにその書の重要性に気付いたが、写本を持ち出すことも、コピーを得ることも出来なかった。というのも、世間でよく知られているように、パタン及びジャイサルメルのジャイナ教の宝物殿から写本を得るより神を天から降ろす方がやさしいからである。だが、不屈の写本発掘者はめげなかった。パンディット ドゥヴィヴェーディによって与えられた手がかりが軌道に乗せてくれた。そしてパタンの宝物殿を調査する機会を見出した際、その古い町のワディーパールシュヴァナータ(Wadi Parsvanatha)の宝物殿で、彼の探し物を日の目に晒すことに成功した。さらに、人徳で、ゲイクワーズ オリエンタル シリーズでの出版を目的として写本を借用したのである。(Tattvasangraha of Santaraksita with the Commentary of Kamalasila,G.O.S.No.30,1984 rep.2vols.p.ii)
出版前の情報については、ヴィデュヤブーシャナ(M.S.S.Vidhyabhusana)の
著名なる『インド論理学中世学派史』(History of the Mediaeval School of IndianLogic,1977,New Delhi,rep.of 1909)に、幾分ある。それによると、
 ビューラー博士(Georg Buhler,1837-1898)は、Brhad-jnana-kosa〔ブリハッド・ジュナーナ・コーシャ〕の探索中、ジャサルミル(Jasalmir)の〔ジャイナ教寺院〕パールシュヴァ・ナータ(Parsva-natha)の寺にて、1873年 めくり式の写本(Pothi)を発見した。189の貝葉を含む、12世紀か13世紀の特徴を示すものであった。欄外にカマラシーラの論理学(Kamala-sila-tarka)というタイトルが残っていた。…本当の名前は、ビューラー博士によると、『論理綱要』Tarka-samgrahaである。さて、この『論理綱要』は、カマラシーラの注釈付き、シャーンタラクシタの『真理綱要』に他ならない。(M.S.S.Vidhyabhusana ;History of the Mediaeval School of Indian Logic,1977,New Delhi,rep.of 1909、pp.124-125の注3)
ビューラーの写本発見から、約30年たって、ようやく『真理綱要』の出版が行われたのである。それまでは、チベット語訳に頼るしかなかった。ヴィデュヤブーシャナも、ビューラーのもたらした情報を、チベット語訳で、確認している。
さて、『真理綱要』が喧伝されるようになった背景には、ジャー(G.Jha)の英訳がある。ジャーは、『真理綱要』全文を英訳し、他に、ミーマーンサー学派の有名な学匠クマーリラ(Kumarila)の『シュローカヴァールッティカ』Slokavarttika、ニヤーヤ学派の巨匠ウッディヨータカラ(Uddyotakara)の『ニヤーヤヴァールッティカ』Nyayavarttikaなども訳した。それに続いて、『真理綱要』が1937年にG.O.SのNo,80で2巻本として出版され
た。これは、1987年に再版された。私の所有テキストはそれである。その第2巻のまえがきでは、ジャーは、こう述べている。
 訳されたテキストは難物である。言語的にも、哲学的にも。...本書の言語的観点では、私は、常に、確信がなかった。特に、仏教文献に頻出する術語に関しては〔確信がなかった。〕私のそれらの知識は、すべてバラモンの資料に由来するのであった。...私は仏教の学者に陳謝し、私が迷っていると判断したなら、いつでも、訂正してくれるよう希望している。(G.Jha,The Tattvasangraha of Santaraksita with the Commentary of
Kamalasila,Baroda,1987,rep.)
ジャーは謙虚な態度を示している。彼が、仏教文献に精通しないとはいえ、インド思想の本道ともいうべき立場から、訳を提示していることは、むしろ、我々には好都合かもしれない。術語は、各学派によって、意味するところが微妙に異なる。我々は、仏教サイドの知識から術語を理解するが、汎インド的なニュアンスや対立する学派が同じ術語をどのように使用しているかを知ることは必要である。ジャーの訳は、その手がかりを与えてくれるかもしれない。その意味で、次のダスグプタ(S.Dasgupta)の『インド哲学史』の言葉は、示唆的である。
 初心者が出会うであろうもう1つの困難は、しばしば、同じ学術用語が、違う体系では、全く異なった意味で使用されていることである。学生は、それぞれの学術用語の意味を、それが現れる体系を参照しつつ知らねばならない。そして、その事態について、彼を大いに啓発する辞書などない。彼は、〔読み〕進み、それら〔学術用語〕が使われているのを見出す度に、それら〔の学術用語〕を拾い上げなければならない。(A History of Indian Philosophy I,1922, p.2)
ちなみに、ダスグプタは、著名な宗教学者エリアーデ(M.Eliade)の師である。


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