Tips of Buddhism

No.70
The Kadam school…of Tibetan Buddhism was founded by Dromton(1005-1064),a Tibetan lay master and the foremost disciple of the great Bengali master Atisa(982-1054)…Later these special presentations become known as lojong lamrim by Atisa.
(from Wikipedia Kadam,2019/08/08)
 
(訳)
チベット仏教のカダム派は、チベット人優(う)婆(ば)塞(そく)たる師、そして偉大なベンガル人の師アティシャの1番弟子であるドムトンによって創設された。・・・後に、その特別な教えは、アティシャによるロジョン・ラムリムとして知られるようになる。
(解説)
チベットに、正式な形で仏教が導入されたのは、8世紀である。当時、チベットは吐蕃(とばん)という強大な軍事国家だった。国家が崩壊(ほうかい)し、教えは続いたものの、堕落(だらく)した仏教が蔓延(はびこ)った。これを憂(うれ)いた国王は、インドから著名な僧を招いて、仏教の立て直しを図った。そこで招聘(しょうへい)されたのが、アティシャだった。チベットの有名な仏教史『青史(せいし)』から、抜き出してみよう。
 大半は、ヴィクラマシーラの大上座(だいじょうざ)をなさっておりました。偉大なることとのお噂(うわさ)が、あらゆる方角を覆(おお)っていることから、僧王チャンチュプウーは、幾度(いくど)もの間に、多くの黄金を送るというような多数の招聘者を、派遣(はけん)したのでした。(原文から私訳)
これを見ても分かるように、アティシャは、当時の第一人者だった。招聘した王の名は、チャンチュプウーで、大量の黄金を以って、チベットに招いたのである。英文にあるドムトンは、アティシャに長く師事(しじ)し、実質的に、カダム派を創設した人物である。彼が、アティシャへの憧れを抱くようになったきっかけを、『青史』から引用してみよう。
 〔ドムトンがデーツェルマに〕、「現今、インドでは、どなたが、偉大なのでしょうか?」と尋ねると、「我らが、インドにいた時分には、ナーローパが偉大でした。王族から出家した僧ディーパンカラシュリージュニャーナ〔=アティシャ〕という方が、おりますので、その方が、現在、おわしますならば、彼が偉大でありましょう。」とおっしゃいましたので、お名前を聞いた直ぐに、大いなる信を起こしました。「今世で、その方にお目通りすることも、あり得ようか。」と思う大きな願いも、生まれたのです。アティシャが、ガリにお出ましになったことを、旅人に聞いて、領主にガリ行きをお願いしました。(原文から私訳)
こうして、アティシャとドムトンは、深く結びつき、やがてカダム派が誕生する。このカダ
ム派から、後代、ツオンカパのゲルク派が生まれ、チベット仏教は頂点を迎える。ツオンカパには『菩提(ぼだい)道(どう)次第(しだい)広論(こうろん)』という主著があるが、英文の「ラムリム」の系統、すなわちアティシャの伝統を受けた著作である。『菩提道次第広論』のうち「次第」の原語はラムリムである。もう1つ英文にあった「ロジョン」とは、瞑想法(めいそうほう)の1種であり、浄(じょう)覚(かく)と訳される。やはり有名な仏教史『カダム明灯史(みょうとうし)』には、こうある。
 浄覚の口伝(くでん)とは、セルリンパが、アティシャに説いたものなのです。彼〔アティシャ〕は、ゲシェトンパ〔ドムトン〕(1004/5/6-1064)に、秘法として〔説示〕なされました。(原文から私訳)
セルリンパは、スマトラに住むと言われる人物である。彼についてはまた触れる機会もあろう。

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