仏教余話

その231
これらの人々は、すべて欧米の研究者であるが、無論、日本の研究者も、チベット資料は、大いに活用している。欧米の研究に比べれば、格段に日本のチベット学のレヴェルは上である。松本史郎博士、四津谷孝道博士は、ツオンカパを中心とする中観研究では、世界最高水準であるし、池田錬太郎教授は、アビダルマ関係のチベット資料に関しては、世界に先駆けた業績を残している。また、一昨年、退職された袴谷憲昭教授は、唯識関係のチベット資料に関しては、世界的に有名であった。
 以上のことは、比較的、最近の研究者に関する話題であるが、この分野の草分け的人物の何人かも紹介しておいた方がよいだろう。大分、以前、ロシアの夭折した学者ローゼンベルグのことを、垣間見た。彼は、珍しくも、明治の日本に留学したのであった。19世紀から20世紀にかけて活躍した学者の中には、ロシアの人が多い。その中に、ヴォストリコフ(Andej Ivanovic Vostrikov,1902-1937)という学者がいる。彼について、湯山明博士は、こう伝える。
 ヴォストリコフは、若くして論理学・文法学などのインド哲学面に関心を示して頭角を現し、更にはかつては後にアメリカへ亡命して活躍した四歳年長のポッペ(Nikolaj-Nikolas(Nikolaivic)Poppe:1897-1991)と、美しいバイカル湖東岸のブリヤート共和国バルグージン(Barguzin)地方の年代記の共同研究を小編に纏めて1935年に公刊したりして、将来を嘱望されていた学者であった。(湯山明Misellance Philologica Buddhica(V)『創価大学国際仏教学高等研究所年報』10,2007,p.475)
ヴォストリコフも、35年という短い生涯で終わった学者であった。彼の業績として、私が記憶するのは、シチェルバツキーのBuddist Logicで、ダルマキールティについて言及していることである。彼の言及は、今日、尚、未解決の大問題に関するものであるが。BuddhistLogicには、ダルマキールティ『量評釈』の章の順序についての1節がある。『量評釈』は、「推理章」から始まっている。しかし、これはかなり異例な事態である。ディグナーガの
『集量論』の注釈として著されているのなら、その冒頭にある帰敬偈を注釈した「量成就」から始めるのが常識的だからである。しかるに、伝統的な章順は、「推理章」を先頭に置く。


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