新チベット仏教史―自己流ー

その8
先に触れたように、ブラバツキーにはオルコットという同志がいました。このオルコットは、実は、明治時代の日本仏教とも深く関わります。明治時代、仏教排斥運動いわゆる廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)が起こりました。その時、日本では白人仏教徒、オルコットを招くことになりました。
オルコットは来日し、大歓迎を受けたのです。これは余談です。ここでは、オルコットの「神智学について」という文章を紹介して、神智学への理解を深めてもらいましょう。
 私は、今、人生の最良の出来事として、その〔ブラバツキーとの〕邂逅(かいこう)を振り返っている。というのも、それはすべての闇黒の場所に明るい光を当てたし、アーリヤ人の隠された科学を再興するのを手助けするという使命に私を送り出してくれたのだ。より以上にワクワクする日々を育んでくれるものだった。少しずつ、彼女は、私の眼を真理に向けた。自己体験が、すんなり私に把握出来るような真理へと。次第に、私は、誤った信仰、すなわち20世紀への愛着を捨てさせられた。そして、光が我が心を徐々に照らすにつれ、彼女を指導した見知らぬ師への尊敬が、いや増した。同時に、彼らの社会を求める、深い・飽くことのない望みが私をとらえた。もしくは、少なくとも、彼らの栄光ある存在の地に我が居を持って行って欲しい、その偉大性を寿ぐ人々の中に入れて欲しいという望みである。ニューヨークの我が部屋で、マハトマの1人の訪問に恵まれた際、その時は来たのである。肉体ではなく影または、幻想の姿の訪問である。この訪問と会話は、私の心を、地球をめぐり、大洋と大陸を渡り、海と陸を跨(また)ぎ、一飛びにインドへと運んだ。その瞬間から、私はそのために生きる動機と、そのために努める目標を持った。動機とはアーリヤ人の叡智(えいち)を得ること、目標とはその普及のため尽力(じんりょく)することである。インド行きを待つ3年、他のマハトマの訪問もあった。彼らは全員ヒンドゥー人やカシュミール人ではなかった。全部で15人知った。中には、コプト人、チベット人、中国人、日本人、シャム人、1人のハンガリア人、1人のキプロス人がいた。しかし、彼らが人種・宗教・カーストが外面的にいくら異なっていようとも、オカルト科学という基礎や宗教には科学的基盤あるということでは、完璧に一致していた。賢者は、自然と人の秘密を知っていた。それは、全宗教の共通の足場であり、その上にずっとあったし、今もあるものである。友好的調和と協調の中にあるものである。世界的偉大なる信仰の祭司であり秘儀(ひぎ)への入門なのだ。その足場が、神智学である。(ネット掲載の英語論文からの私訳)
神智学がいかなるものなのか、よくわかる文章であると思います。ここに出てくるマハトマは、よく引き合いに出される言葉です。ブラバツキーやオルコットを導く古代の賢者のことです。一見、荒唐無稽(こうとうむけい)に見えるマハトマや神智学は、当時も今も人々を魅了しています。そして、そのような風潮の中で、『チベットの死者の書』も誕生したのです。

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