Tips of Buddhism

No.8
A concept similar to this had already appeared in India also.In Hinduism,for instance,the god Vishnu was believed to apper on earth in defferent forms at defferent times.This manifestation was called Avatara (Jap.Gonge).Sakyamuni died at the end of lifetime of eighty years but that was only a temporary form.Buddha’s original body(essence),the Dharma-kaya(Jap.Hossin,the “Truth-body”)is eternal.This mode of thought appears in many sutras.
(Shoko Watanabe;Japanese Buddhism-a critical appraisal-,Tokyo,1964,p.101,ll.15-22)

 
 
(訳)
これと似た考えは、既に、インドにもある。例えば、ヒンドゥー教で、ヴィシュヌ神は、様々な時代に、様々な姿で、地上に現れると信じられている。この顕現は、アヴァターラと呼ばれる。(日本語では、権化(ごんげ))釈迦牟(しゃかむ)尼(に)は、80年という生涯の最後に亡くなった。しかし、それは現世(げんせ)身(しん)に過ぎない。ブッダの本来(ほんらい)身(しん)(本性)、即ち、ダルマーカーヤ(日本語では、法(ほっ)身(しん)、「真実身」)は、常住(じょうじゅう)である。この思考様式は、多くの経典に見られる。

(解説)
アヴァターラ(avatara)は、今や、ネットの世界でも使われる言葉である。数年前、流行った映画「アバター」の由来は、この言葉で、日本語に訳された「権化」は、仏教と神道をつなぐキーワードとなった。即ち、インドの仏が、日本に来て、日本の神に姿を変えたという主張を生んだ。これは、本地(ほんち)垂迹説(すいじゃくせつ)と言われる。神社と寺が同居して、何の違和感も感じないのは、この説が普及したせいである。例えば、奈良の興福寺(こうふくじ)のすぐ近くに春日(かすが)大社(たいしゃ)があっても、日本人は、誰も不思議に思わない。この文章は、渡辺(わたなべ)照(しょう)宏(こう)という有名な仏教学者の『日本仏教 批判的評価』からの抜粋である。ちなみに、最もオーソドックスなSanskrt-English-Dictonaryは、(モニエル・ウイリアムズ)Monier Williamsのものであるが、そこのavataraの項には「降臨(こうりん)(特に天から神の)」「何らかの神が地上に出現すること」(descent(especially of a deity from heaven),appearance of any deity upon earth)とある。モニエルの辞書も、今では、ネットで見ることが出来る。わたしは「まんどぅーか」という篤志家(とくしか)がネットで公開している
サンスクリット語辞典を利用している。モニエルの他にも、主な辞典は揃っているし、サンスクリット語文法書、読本なども完備している。また、パーリ語、ヒンディー語、ウルドゥー語など、インドの諸言語を学ぶためのサイトである。皆さんはネット情報に詳しいだろうが、ここで、最も利用価値のあるサイトを紹介しておこう。まず、印度学仏教学研究のホームページを見て欲しい。そこには、仏教学論文のデータベースがある。これをクリックすれば、『印度学仏教学研究』を始めとする仏教研究に欠かせない論文を、大方(おおかた)、検索出来る。自分が興味を持ちながらも、その意味がわからない仏教用語を打ち込めば、すぐに関係論文が明示される。もっとも、「空(くう)」等の使用範囲が広い言葉には、膨大(ぼうだい)なデータが表示されるので、選ぶのに苦労する。他に、大蔵経データベースもある。これは、漢
訳の大蔵経にある言葉、例えば、「菩提(ぼだい)」を検索すると、その言葉が載っているすべての大蔵経文献が表示される。テキストそのものもネット上で公開されるケースは多い。サンスクリットの主な原典もゲッティンゲン大学で公開されている。以前と違い、大幅な時間短縮が可能となったのである。ただ、それで研究の中身が深まるというわけではない。とにかく、仏教を学ぶ上で、サンスクリット語が読めなくとも、せめて、辞書を引ける程
度の素養は必要であることを伝えて、おきたい。


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