仏教余話

その137
さらに、現在の仏教論理学研究をリードしている観のあるシュタインケルナー(E.Steinkellner)博士も、同じような立場から、批判している。シュタインケルナー博士は、フラウヴァルナーの弟子に当たる。師が、カントの影響下にあったことを、先に見たことを思えば、弟子の意見は師への造反とも受け取れるが、とにかく、シュタインケルナー博士は、次のように、シチェルバツキーのカント寄りの解釈を批判している。
 この著書〔Buddhist Logic〕は、間違いなく、哲学的試解釈としてのインド思想理解の偉大なる企画である。同時に、今日、我々は、この企てが、多くの問題ある考えをもたらしたことを理解している。そのうちのいくつかは、なお、仏教認識論において、普及している。それらの解釈の問題点はーテキスト的基盤を除いてーシチェルバツキー自身の哲学的背景、つまり、ポストーカント認識論にある(E.Steinkellner,On the interpretation of the svabhavahetuh,WZKS.18,1974,p.118〔 〕内私の補足)
もっとも、このような批判から、シチェルバツキーは脱していた、とする見方もある。シチェルバツキーの伝記には、こうあるからである。
かつて彼は仏教論理学をカント学派の立場から取り扱いダルマキールティを「印度のカント」となしていたが、本書〔Buddhist Logic〕では仏教徒の論理学について次のように述べる。「それは論理学であるが、アリストテレスのそれではない。それは認識論に関係を持つが、カント的認識論ではない。」(金岡秀友『小乗仏教概論』昭和32年、p.165、〔 〕内私の補足)
実際『仏教論理学』の序論で、シチェルバツキーは、カント的解釈を放棄している。また、彼が、もろ手を挙げて、カントを代表とするヨーロッパの哲学を礼賛したのでないことは、彼の評伝では、明白である。『インドのイメージ』のシチェルバツキー伝には、以下のような記述がある。
  シチェルバツキーの著作は、ヨーロッパ哲学とインド哲学との比較を試みているけれど(当時ヨーロッパで流行していたカント哲学を含めて)、本質的に、ヨーロッパ至上主義 者 のインド思想研究に正面から対抗しようとしていた。にもかかわらず、彼がカントへ言及したことは、〔誤解をもたらした。〕…更に、インド思想家と東ヨーロッパの哲学者の哲学には、根本的な違いがあることを説くチャンスを、捉えて離さなかった。彼は、研究の中で、「知覚の思惟に対する対立点は、カント以前の全哲学者においてあるものと、仏教徒の間にあるものとは違った特徴を有す。」ということを示さんとした。「カントの哲学に関して、「カントの疑問は、ダルマキールティと似ていると臆断するような仮定に導くあらゆるものを、可能な限り、捨てねばならない」と読者に強調もしたのである。(シチェルバツキ ーは、かなり後に著された『仏教論理学』では、インドとヨーロッパ哲学の伝統を詳しく 比較している)また、著書で、著名なドイツ哲学者ショーペンハウエルの立場に異を唱えた。シチェルバツキーの言葉を借りれば、「インドの賢者は、明らかに、彼が見たのと全く同じものを見たのであろう。」(G.Bongard-Levin,A.Vigasin:The Image of India,The Study of Ancient Indian Civilisation in the USSR,1984,Moscow、p.130)
このように、シチェルバツキーの本心は、インドへの評価であったのである。しかし、彼のカント流解釈は、著しい浸透力で、彼以降の学者の頭に刻み付けられたのである。今は、虚心なるインド解釈・仏教解釈なるものが、如何に困難であるか。いやむしろ、そんなものは、ほとんどあり得ない、という認識を持って欲しい。よくいえば、伝統的な、悪くいえば、時代の制約を帯びた解釈に、知らず知らず、汚染されていることだけは確かなのである。少し、時間を割いて、シチェルバツキーまでを論じたのは、その辺の機微を感じてもらい、現在流布しているあらゆる仏教解釈を、1度は、疑ってみてもらいたいがためである。カント的にインド哲学を解釈することに対する強い反発があったことは、事実である。しかし、その反発さえ、時代の流行である。昨今では、カント流の解釈を是とする動きが見られるのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?