Tips of Buddhism

No.41
Zen teachers never instruct their pupils by means of explanation or argument,but urge them to solve by themselves through the practice Meditation such problems as-
‘What is Buddha?’’What is self?’’What is the spirit of Bodhidharma?’’What is life and death?’’What is the real nature of mind?’ and so on.(Kaiten Nukariya;The Religion of the Samurai a study of Zen philosophy and disciple in China and Japan,London,1913,p.178,ll.4-10)

(訳)
禅の師は、説明または議論によって、弟子を指導することは決してないのである。しかし、禅の実習を通じ、自ら、解決するように強いる。例えば、以下のような問題がある。「仏とは何か?」「己とは何か?」「菩提(ぼだい)達磨(だるま)の精神とは何か?」「生死とは何か?」「心の本性とは何か?」云々である。
 
(解説)
 文章は、昔の学長、忽滑(ぬかり)谷(や)快天(かいてん)(1867-1934)という人物の『侍の宗教』という英語の本からの抜粋(ばっすい)である。忽滑谷は、序文でこう述べている。
 私の知る限り、禅について、英語、もしくは、如何なるヨーロッパの言語で書かれた著書もない。釈宗(しゃくそう)演(えん)による『一仏教僧の説』 を除いては。約1400年前の、創建以来、中国や日本には、その組織的解説を企てる書き手はいなかった。それ〔禅〕が、表現を超絶した秘密の意味を持っていると、信じられてきたことによるのである。
 So far as I know,no book is written on Zen in English or in any other European language,except’The Sermons of a Buddhist Abbot’ by Shaku So-yen.Since its foundation some fourteen hundred years ago,no author in China or Japan had undertaken a systemtic explanation of it,owing to the fact that it is believed to have a hidden meaning entirely beyond expression.(ibid,p.ix,ll.1-7)
序文の最後には、「ハーヴァード スクエアー、ケンブリッジ、1913年春」とある。禅を欧米に紹介した人物としては、鈴木(すずき)大拙(だいせつ)(1870-1966)が有名である。鈴木は、1890年にアメリカに渡り、1909年に帰国している。その間、禅関係の出版を行っているはずなので、忽滑谷は、その活動を知らなかったか、無視したのであろう。
 さて、忽滑谷は、少し前まで駒澤大学の「建学の理念」とされた「信(しん)誠(せい)敬愛(けいあい)」を創案した初代学長でもある。忽滑谷は、昔こう述べていた。
 そこで信誠敬愛の四字を以って、駒澤大学の精神特色を示す四大文字としてこれを高調し、学生をして信悟(しんご)一如(いちにょ)の人格を完成するに努めせしむるようにしたい。(「駒澤大学の精
神(学長訓示)」『駒澤大学一覧』昭和3年、ルビ私)
こうも言っている。
 教師も学生生徒も「信誠敬愛」の根本精神を日夕(にちゆう)体現してもらいたい。如何(いか)なることにも御仏(みほとけ)に対する信仰を本として活動し、一点の虚偽(きょぎ)を雑(まじ)えざる誠意を以(も)って事に当たり、何
者を取扱うにも敬と愛とを以ってする。これが禅風(ぜんぷう)其者(そのもの)である。(「開校記念日を迎えて学園の過去と将来を語る」『駒澤大学新聞』第16号、昭和7年、旧字体を新字体に改めた、ルビ私)
校歌の3番には、「信誠敬愛」という言葉が使われているので、建学の理念と見られても致し方ない面もあるのだろう。


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