仏教余話

その43
本覚思想については、その体質が、身近で、納得しやすくなるような文が、袴谷憲昭氏によって、示されているので、それも、合わせて、紹介しておこう。
 〔梅原猛氏は〕「〔聖徳〕太子は一乗思想の裏側に如来蔵思想があることを指摘し」「以後の日本仏教は、この太子の主張した一乗仏教、如来蔵仏教の道をまっしぐらに進んでいる。」「ここで私が特に重視したいのは、この一乗仏教の日本的展開にあたって、インドや中国の仏教にはない山川草木悉皆成仏という思想が形成されたことである。つまり、仏教の、特に大乗仏教の平等思想が人間を超えて、動植物から自然界すべてに拡がったわけであるが、」「この意味で、仏教の主張した人間の平等主義は、現在の日本の国家でも生きていると思われるが、もう一つの山川草木まで平等であるという日本独自の思想も、あのヨーロッパ思想が強く持っている人間中心主義の思想がもたらす自然の破壊を食い止める、今後の人類にとって実に重要なレメディをその内に含んでいる思想であるように思われる。」〔などという〕。ここで、一乗思想とか如来蔵思想とか呼ばれているものが、本稿でいう本覚思想にほかならないことは言うまでもないが、この論調を辿っていくと、まるで、日本人だけが、本覚思想のお陰で、戦もなく殺戮もなく平和で平等な歴史を過してきたかのような錯覚に囚われるが、このような実情を無視した平然とした権威的態度、あるいは土着宗教と一乗仏教を混入させておく理論的曖昧さ…これらはすべて本覚思想の肩を持って発想する権威的知識人の通弊と言ってよいのである。(袴谷憲昭「差別事象を生み出した思想的背景に関する私見」『本覚思想批判』1989所収、p.136、〔 〕内私の補足)
幾分以前の発言だが、今にも通ずる。日本人に共通に染込んでいる本覚思想的体質とは、ついこの前にあった鳩山前首相のエコ礼賛や、やはり少し前に流行った「もったいない」の運動にも、現れているのである。これらは、一見すると、「素晴らしい日本独自の思想」と受け取られがちだが、付和雷同的気質の裏返しで、我々自身の体質ともなっている。


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